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	<title>中西けんじホームページ&#187; 私の主張</title>
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	<description>中西けんじ 公式ホームページ（参議院議員 神奈川県選挙区 みんなの党）</description>
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		<title>社会保障と税制（４）最終章</title>
		<link>http://nakanishikenji.jp/blog/6397</link>
		<comments>http://nakanishikenji.jp/blog/6397#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 14 Jan 2012 01:25:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[政策]]></category>
		<category><![CDATA[私の主張]]></category>
		<category><![CDATA[相続税増税]]></category>
		<category><![CDATA[社会福祉目的税化]]></category>
		<category><![CDATA[税と社会保障]]></category>
		<category><![CDATA[財政健全化]]></category>

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		<description><![CDATA[
では、社会保障にとっての財源として、何が一番ふさわしいのでしょうか。色々な考え方があると思いますし、研究者の考え方も様々です。その中でも私は、学習院大学の鈴木亘先生が提唱していらっしゃる、相続税の増税と社会福祉目的税化が望ましいと考えています。理由は三つあります。まず、相続税とは国民が死亡した時に残された資産にかけられる税金です。これは勿論故人の生前の努力によって築かれたものでしょうが、それを支えてきた国の提供する公共財があり、社会保障があってこそできたものです。その資産を活用し十分に消費しながら生活してきて、最後に余ったものが被相続財産だと考えれば、それに高い税率で課税して社会保障の財源とするのは筋が通っているのではないでしょうか。二番目の理由は、相続税の増税は消費を促すと考えられるからです。お金を残しても税金でとられてしまうのであれば、自分のため、家族のためにどんどん使うようになっていくでしょう。所得隠しなどが増えるかも知れませんが、それはいくらでも対処できる問題だと私は考えています。そしてもう一つの理由は格差の固定化を緩和できるということです。「子孫に美田を残さず」ということを自ら実践されているかたもいらっしゃいますが、これをある程度国の税制にとりこもうということです。
 
このように、財政健全化のためには政府歳出の効率化と税制改革を両方考えなければなりませんが、少なくとも今の経済状況で増税を行う事は困難です。本来は復興費用も政府歳出の組み替えで賄うべきものだったと私は考えています。私達が将来にツケを回してはならないのは、復興の費用ではなく、これまで積み上げてきてしまった借金の方なのです。これは何としてでも減らさなければなりませんが、その為にはまず経済を成長させていかなければなりません。実質で成長率がゼロ近辺を彷徨う日本は、より生活実感に近い名目GDPで見ると経済が縮小してしまっています。リーマンショック前の2007年度の名目GDPは515.8兆円だったのに対し、2010年度は475.8兆円まで落ち込んでしまっています。わずか3年間で40兆円、率にして8％も縮小してしまっています。政府は経済状況を勘案して消費税率の実際の引き上げを行うかどうかを判断するとしていますが、たとえ2％程度成長したとしても、到底経済状況が好転し、増税の条件が満たされたとは言えないのではないでしょうか。ですから、財政再建には、まず政府の歳出全般、特に社会保障関連で徹底的な効率化を図ることが重要です。そして、比較的早期に増税を行う事ができるとすれば、それは相続税だと思います。先に書きましたとおり、相続税の増税は消費を促すことも考えられますし、増税が経済に与えるマイナスの影響は小さいと考えられているからです。
 
もうすぐ国会の審議が始まります。今後の税と社会保障をどうしていくのかが中心テーマとなります。昨年6月30日にまとめられた税と社会保障の一体改革案は、閣議決定されておらず、内閣に報告されただけです。年末から年始にかけて、政府民主党でまとめられた税と社会保障改革案は素案の段階にとどまっています。税と社会保障を一体として進めなければいけないことは、皆わかっています。民主党政権もそれがわかっているから与謝野馨前大臣を一本釣りしてきて任せたわけですし、与謝野さんも覚悟を決めてやってきた。しかし、ここから先が進まないのです。それが民主党政権の最大の問題です。寄せ集めとも言える集団ですから、利害が必ずぶつかり合い、意見集約ができず、最後はどうにでも都合の良いように解釈できる玉虫色の決着となる。本来は甘いものと苦いものを一緒に食べていかなければいけないのに、甘いものばかりを食べようとする。社会保障にしても機能強化は甘い話ですから、そちらばかりが先に進んで、効率化は先送りされてしまっています。社会保障の全体像、税制の抜本改革の姿を見せずして、消費税増税に突っ走ろうとする政府の姿勢には国会の審議を通じて断固として否を唱えつつ、持論を展開していこうと考えています。
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			<content:encoded><![CDATA[
<p>では、社会保障にとっての財源として、何が一番ふさわしいのでしょうか。色々な考え方があると思いますし、研究者の考え方も様々です。その中でも私は、学習院大学の鈴木亘先生が提唱していらっしゃる、相続税の増税と社会福祉目的税化が望ましいと考えています。理由は三つあります。まず、相続税とは国民が死亡した時に残された資産にかけられる税金です。これは勿論故人の生前の努力によって築かれたものでしょうが、それを支えてきた国の提供する公共財があり、社会保障があってこそできたものです。その資産を活用し十分に消費しながら生活してきて、最後に余ったものが被相続財産だと考えれば、それに高い税率で課税して社会保障の財源とするのは筋が通っているのではないでしょうか。二番目の理由は、相続税の増税は消費を促すと考えられるからです。お金を残しても税金でとられてしまうのであれば、自分のため、家族のためにどんどん使うようになっていくでしょう。所得隠しなどが増えるかも知れませんが、それはいくらでも対処できる問題だと私は考えています。そしてもう一つの理由は格差の固定化を緩和できるということです。「子孫に美田を残さず」ということを自ら実践されているかたもいらっしゃいますが、これをある程度国の税制にとりこもうということです。</p>
<p> </p>
<p>このように、財政健全化のためには政府歳出の効率化と税制改革を両方考えなければなりませんが、少なくとも今の経済状況で増税を行う事は困難です。本来は復興費用も政府歳出の組み替えで賄うべきものだったと私は考えています。私達が将来にツケを回してはならないのは、復興の費用ではなく、これまで積み上げてきてしまった借金の方なのです。これは何としてでも減らさなければなりませんが、その為にはまず経済を成長させていかなければなりません。実質で成長率がゼロ近辺を彷徨う日本は、より生活実感に近い名目GDPで見ると経済が縮小してしまっています。リーマンショック前の2007年度の名目GDPは515.8兆円だったのに対し、2010年度は475.8兆円まで落ち込んでしまっています。わずか3年間で40兆円、率にして8％も縮小してしまっています。政府は経済状況を勘案して消費税率の実際の引き上げを行うかどうかを判断するとしていますが、たとえ2％程度成長したとしても、到底経済状況が好転し、増税の条件が満たされたとは言えないのではないでしょうか。ですから、財政再建には、まず政府の歳出全般、特に社会保障関連で徹底的な効率化を図ることが重要です。そして、比較的早期に増税を行う事ができるとすれば、それは相続税だと思います。先に書きましたとおり、相続税の増税は消費を促すことも考えられますし、増税が経済に与えるマイナスの影響は小さいと考えられているからです。</p>
<p> </p>
<p>もうすぐ国会の審議が始まります。今後の税と社会保障をどうしていくのかが中心テーマとなります。昨年6月30日にまとめられた税と社会保障の一体改革案は、閣議決定されておらず、内閣に報告されただけです。年末から年始にかけて、政府民主党でまとめられた税と社会保障改革案は素案の段階にとどまっています。税と社会保障を一体として進めなければいけないことは、皆わかっています。民主党政権もそれがわかっているから与謝野馨前大臣を一本釣りしてきて任せたわけですし、与謝野さんも覚悟を決めてやってきた。しかし、ここから先が進まないのです。それが民主党政権の最大の問題です。寄せ集めとも言える集団ですから、利害が必ずぶつかり合い、意見集約ができず、最後はどうにでも都合の良いように解釈できる玉虫色の決着となる。本来は甘いものと苦いものを一緒に食べていかなければいけないのに、甘いものばかりを食べようとする。社会保障にしても機能強化は甘い話ですから、そちらばかりが先に進んで、効率化は先送りされてしまっています。社会保障の全体像、税制の抜本改革の姿を見せずして、消費税増税に突っ走ろうとする政府の姿勢には国会の審議を通じて断固として否を唱えつつ、持論を展開していこうと考えています。</p>
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		<item>
		<title>社会保障と税制（３）</title>
		<link>http://nakanishikenji.jp/blog/6393</link>
		<comments>http://nakanishikenji.jp/blog/6393#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 13 Jan 2012 00:23:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[政策]]></category>
		<category><![CDATA[私の主張]]></category>
		<category><![CDATA[人件費削減]]></category>
		<category><![CDATA[効率化]]></category>
		<category><![CDATA[所得の再配分]]></category>
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		<category><![CDATA[社会保障]]></category>
		<category><![CDATA[財政健全化]]></category>

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		<description><![CDATA[
財政を健全化させるためには、歳入を増やすことと歳出を減らすことの両方を考えなければなりません。歳出削減は、効率化の一言に尽きます。まず同じ行政サービスを如何に低コストで行えるようにするか、そして不要なサービスは無いのか。この前者に関しては、公務員も真面目に取り組んでいると思いますが、不要なサービスを無くすことに関しては中々進みません。人口100人の自治体において、或るサービスを提供しているとすれば、1人でもそれを使っている人がいればサービスをやめることができず、しかも100人全員がサービスを受けたいと言い出しても大丈夫なような体制を保ちながら1人へのサービス提供を続けるというのが、典型的な役所のやり方です。政治主導が必要なのはまさにここで、事業仕分けはその為の作業といえます。
 
私達みんなの党が国家公務員の給与削減を強く訴えているのは、彼らが憎いわけでも、全員の働きが悪いと思っているわけでもありません。優秀な官僚が多く、彼らは夜遅くまで身を粉にして働いています。人件費削減は、本来は人数を減らすこと、及び、仕事の成果に基づき給与水準にメリハリをつけることによってこそ、行われるべきです。多くの民間企業で行われている効率化というのはそういうものです。人数を保ったままで一律に給与水準を下げていくのは、本当は効率的ではありませんし、モラルも低下します。しかし、公務員にはメリハリの効いた人事考課もなく、また分限免職という制度はあっても事実上は解雇ができないために、一律の給与削減という道になってしまっているのです。本来必要なのは効率化で、ムダの削減です。
 
歳出を効率化し、削減していくだけでは財政健全化はできませんから、歳入の増加を図っていかなければなりません。国の税収が1990年の60.1兆円に比べてほぼ3分の2に落ち込んでしまっていること、1997年の消費税率3％から5％への引き上げ以降ほぼ一貫して減収基調にあることを鑑みると、いかに経済成長が歳入増のためには重要かということがわかります。デフレを克服し、名目GDPを伸ばしていくことが政策の中心課題となるべきですが、それとは別に税制の抜本的な見直しをしていかなければなりません。減税する部分、増税する部分とを組み合わせて、税収の増加を図りつつ、社会の活力を損なわないような改革が必要です。
 
税に関しては公平性と安定性が重要だと私は考えています。税金は所得の再分配と財源という二つの機能を果たしており、前者が公平性、後者が安定性につながるのです。
 
所得の再分配における公平性は非常に難しい問題です。仮に100％の再分配をしてしまえば、どれだけ稼いでも手取りが誰でも同じということになってしまいますから、経済成長は止まってしまいます。一方で全く再分配をしないと、格差の固定化が起こる可能性があります。私は頑張った人が報われるという結果としての格差自体に問題があるとは思いませんが、格差が固定化することは問題だと思っています。従って、特に低所得者への所得の再分配を重視する必要がありますが、過大な再分配によって却って固定化を生んでしまわないように十分に注意しなければなりません。
 
安定性というのは、国の財政支出の財源として頼りになるかどうかです。消費税は、景気の動向による影響を余り受けないと言われているため、安定した財源だと考えられており、その為に政府の方針は消費税を社会福祉の目的税にするものです。先にもご説明したとおり、まず社会保障制度をしっかりとしたものにし、消費税全額をその財源とすることを定めた上で初めて消費税の税率見直しを行う事が、平成21年税制改正で定められています。しかし、私は二つの理由からこの方針には異論があります。
 
まず、今後道州制など地方自治の充実を図っていく際に、地方の財源として消費税は最適なのです。法人や個人の所得は地域によって大きなばらつきがありますが、消費に関しては人口が同じ程度であればそれほど大きな違いはありません。地方自治を支える税金として、消費税をこそ考えるべきだと思っています。海外の事例を見ても、消費税を地方税としているところは多く見られるものの、社会保障の目的税としている国はありません。もう一つの理由は、景気の動向に左右されない財源を必要とするのは、実は公共投資など一般歳出だと思うのです。景気は必ず変動します。景気が下振れした時に、初期の段階で十分な財政出動を行っておけば深刻な不況に陥る可能性を小さくできるということが、これまでの経済学の研究でも明らかになってきています。ですから一般歳出は景気が悪くなった時にこそ増やさなければならないもので、景気とともに変動する法人税、所得税に依存していてはいけないと考えています。本来はそういった財政支出の為にこそ、消費税が使われるべきではないでしょうか。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>財政を健全化させるためには、歳入を増やすことと歳出を減らすことの両方を考えなければなりません。歳出削減は、効率化の一言に尽きます。まず同じ行政サービスを如何に低コストで行えるようにするか、そして不要なサービスは無いのか。この前者に関しては、公務員も真面目に取り組んでいると思いますが、不要なサービスを無くすことに関しては中々進みません。人口100人の自治体において、或るサービスを提供しているとすれば、1人でもそれを使っている人がいればサービスをやめることができず、しかも100人全員がサービスを受けたいと言い出しても大丈夫なような体制を保ちながら1人へのサービス提供を続けるというのが、典型的な役所のやり方です。政治主導が必要なのはまさにここで、事業仕分けはその為の作業といえます。</p>
<p> </p>
<p>私達みんなの党が国家公務員の給与削減を強く訴えているのは、彼らが憎いわけでも、全員の働きが悪いと思っているわけでもありません。優秀な官僚が多く、彼らは夜遅くまで身を粉にして働いています。人件費削減は、本来は人数を減らすこと、及び、仕事の成果に基づき給与水準にメリハリをつけることによってこそ、行われるべきです。多くの民間企業で行われている効率化というのはそういうものです。人数を保ったままで一律に給与水準を下げていくのは、本当は効率的ではありませんし、モラルも低下します。しかし、公務員にはメリハリの効いた人事考課もなく、また分限免職という制度はあっても事実上は解雇ができないために、一律の給与削減という道になってしまっているのです。本来必要なのは効率化で、ムダの削減です。</p>
<p> </p>
<p>歳出を効率化し、削減していくだけでは財政健全化はできませんから、歳入の増加を図っていかなければなりません。国の税収が1990年の60.1兆円に比べてほぼ3分の2に落ち込んでしまっていること、1997年の消費税率3％から5％への引き上げ以降ほぼ一貫して減収基調にあることを鑑みると、いかに経済成長が歳入増のためには重要かということがわかります。デフレを克服し、名目GDPを伸ばしていくことが政策の中心課題となるべきですが、それとは別に税制の抜本的な見直しをしていかなければなりません。減税する部分、増税する部分とを組み合わせて、税収の増加を図りつつ、社会の活力を損なわないような改革が必要です。</p>
<p> </p>
<p>税に関しては公平性と安定性が重要だと私は考えています。税金は所得の再分配と財源という二つの機能を果たしており、前者が公平性、後者が安定性につながるのです。</p>
<p> </p>
<p>所得の再分配における公平性は非常に難しい問題です。仮に100％の再分配をしてしまえば、どれだけ稼いでも手取りが誰でも同じということになってしまいますから、経済成長は止まってしまいます。一方で全く再分配をしないと、格差の固定化が起こる可能性があります。私は頑張った人が報われるという結果としての格差自体に問題があるとは思いませんが、格差が固定化することは問題だと思っています。従って、特に低所得者への所得の再分配を重視する必要がありますが、過大な再分配によって却って固定化を生んでしまわないように十分に注意しなければなりません。</p>
<p> </p>
<p>安定性というのは、国の財政支出の財源として頼りになるかどうかです。消費税は、景気の動向による影響を余り受けないと言われているため、安定した財源だと考えられており、その為に政府の方針は消費税を社会福祉の目的税にするものです。先にもご説明したとおり、まず社会保障制度をしっかりとしたものにし、消費税全額をその財源とすることを定めた上で初めて消費税の税率見直しを行う事が、平成21年税制改正で定められています。しかし、私は二つの理由からこの方針には異論があります。</p>
<p> </p>
<p>まず、今後道州制など地方自治の充実を図っていく際に、地方の財源として消費税は最適なのです。法人や個人の所得は地域によって大きなばらつきがありますが、消費に関しては人口が同じ程度であればそれほど大きな違いはありません。地方自治を支える税金として、消費税をこそ考えるべきだと思っています。海外の事例を見ても、消費税を地方税としているところは多く見られるものの、社会保障の目的税としている国はありません。もう一つの理由は、景気の動向に左右されない財源を必要とするのは、実は公共投資など一般歳出だと思うのです。景気は必ず変動します。景気が下振れした時に、初期の段階で十分な財政出動を行っておけば深刻な不況に陥る可能性を小さくできるということが、これまでの経済学の研究でも明らかになってきています。ですから一般歳出は景気が悪くなった時にこそ増やさなければならないもので、景気とともに変動する法人税、所得税に依存していてはいけないと考えています。本来はそういった財政支出の為にこそ、消費税が使われるべきではないでしょうか。</p>
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		<item>
		<title>社会保障と税制（２）</title>
		<link>http://nakanishikenji.jp/blog/6383</link>
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		<pubDate>Thu, 12 Jan 2012 00:22:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
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		<description><![CDATA[
では、社会保障改革の必要性はなぜあるのでしょうか。そもそも、社会保障というのは国民に安心、安定を与えるものです。一定の社会保障を政府が提供することによって、国民は生産、消費といった経済活動に安心して取り組むことができるようになります。また、社会的な弱者の救済、一時的な困難に陥った人々の支援など、民間の経済活動だけではカバーしきれない部分を、社会保障が支えていくのです。社会保障を考える時に、私は効率性と公平性が重要だと考えています。
 
社会保障は国家から特定の人々への援助ですから、援助を受ける側（受益者）からすれば多ければ多いほど嬉しいものです。生活保護にせよ、年金にせよ、医療保険にせよ、あるいは公営保育にせよ、減らしましょうという話には容易にはならないものです。しかしこれらは全て国民の負担によって賄われています。先述しましたように、税金の多くの部分は実は社会保障のために使われているのです。ですから、効率性が極めて重要になります。また、殆どの社会保障は受益者が必ずしも国民全体ではありませんから公平性も重要になります。生活保護、高額医療保障、公営保育などは受益する人としない人がはっきりと分かれます。また国民の殆どが受け取る年金では、高齢にならない限り受け取らない訳ですから、ある時点で考えてみるともらっている人ともらっていない人がいるわけです。従って、公平性を忘れて社会保障を議論する事は出来ません。
 
今の社会保障制度は、明らかに制度疲労を起こしています。これは日本に限らず世界中で起こっていることですが、この30～50年で多くの大きな変化が起こってきました。平均寿命が延び、ライフスタイルが多様化し、仕事のやり方が変わり、家族構成も変わってきています。例えば年金を考えると、平均寿命が大きく伸びてきていることを考えなければなりません。私が生まれた昭和39年には、男性の平均寿命は67.7歳でした。また、65歳の男性の平均余命は12.2年です。平成20年には平均寿命が79.3歳、65歳の男性の平均余命も18.6年に延びています。平均寿命の伸びは女性でさらに大きく、昭和39年の72.9歳から平成20年には86.1歳になっています。国民が長生きになるのは素晴らしいことですが、当然のことながら制度もそれに合わせて変えていかなければならないのです。
 
65歳時の平均余命が12.2年であれば、65歳から年金を支給すれば平均して12.2年支給を続けることになりますが、平均余命が18.6年なら支給期間がざっと1.5倍になるわけです。支給の財政負担の大きさからだけ考えても寿命の延長に併せて支給開始年齢を上げていくことが必要になります。また、就業形態の多様化によってより高齢での就業も可能になりますし、終身雇用制が徐々に崩れて来れば50代で新たな職に移ったり起業したりする人も増え、65歳で仕事を終えるということが逆に不自然になってくるとも考えられます。高齢者が就労を続けることが若者の就労機会を減少させるという議論を聞くことがありますが、これはやり方次第です。確かに高齢者と若者が同じ仕事を取り合っているならば高齢者の就労増加が若者の失業を生むかも知れませんが、お互いが相手を必要とするような形であれば効果は逆になります。現にそうした人材活用を進めている企業もあります。経済学で言うところの代替か補完かの問題です。
 
高額医療に対する保障などを考えると、国民が本当に求めている社会保障とは何なのかという疑問にぶち当たります。国民は社会保障の受益者でもありますが費用負担者でもあります。大きな負担をしながら大きな保障を受けたいか、小さな負担をしながら最低限の保障を受けたいか、一人一人の考え方はばらばらだと思います。これまでは費用負担と受益を切り離してばかり議論をしてきました。例えば政府は今も社会保障の機能強化を進めています。社会保障の機能が強化されると言われれば、受益者とすれば嬉しい話です。しかし、それがどれだけの費用のかかるものであり、国民一人一人の税金をどれだけ増やすことになるのか、費用負担者側からの議論も同時にしなければならないはずです。片側からだけの議論は、言葉は悪いですが一種の詐欺のようなものです。
 
少子化対策も社会保障関連で扱われていますが、どうも短絡的な考え方が多く疑問を感じています。少子化対策は二つに分けて考えなければならないと思います。本当の少子化対策は、子供を持ちたい夫婦が持ちやすくなるような社会を作ることだと思います。働きながら子供を産み、育てていける環境を作ることには、保育園の増設だけではなく、雇用形態の多様化や男性の育児参加を促す方策など、様々なものがあるはずです。それらを全て検討しながら、効率よく環境整備をしていく必要があります。この少子化対策は、「本当の少子化対策」と表現しましたが、そのような社会を実現していこうとすれば結果として子供も増えるだろうという意味であって、少子化対策を目的とするということではないと思います。仮にいま我が国において子供の数が増えていたとしても、女性も含めた国民全てが自己実現できる社会をサポートする意味で行われるべき施策だと考えています。
 
一方で、少子化対策と人口構成変化を結びつける議論を耳にしますが、違和感を感じざるを得ません。少子高齢化が進み、年金財政が苦しくなる、だから子供の数を増やしていかなければならないというのは、高齢者を支えるために子供を産めと言っているようで、不愉快に感じる時もあります。これについては全く別の考え方をするべきではないでしょうか。例えば、少子化を止めるのではなく少子化が進んでいくことを前提として、それでも世代間格差が発生しないように、年金を受給している世代の受給額を労働人口に連動させることも可能でしょう。あるいは海外からの労働力をもっと受け入れる方策を講ずるべきなのかも知れません。いずれにせよ、高齢者への年金受給を果たすために子供を増やせと言うのは、正しい議論だとは思いません。
 
色々と書いてきましたが、社会保障改革が今必要な理由は、様々な前提条件が変わってきているからという一語に纏める事ができると思います。その上で、国民が求める受益と費用負担のバランスを考えていかなければなりません。厚生労働省は受益を増やすことしか考えていません。財務省は費用負担を国民に求めることしか考えていません。国民は本当に負担が増えてでも給付が大きくなることを望んでいるのでしょうか。今後更に高齢化が進んでいく中で、いま給付を増やしてしまうと、現役世代の将来の負担はその分が2倍、3倍になって跳ね返ってきます。逆にいま減らすことができれば、将来の負担はその2倍、3倍が軽減されることになるのです。政治家の私達も皆さんにこの問題を問いかけていかなければなりませんが、研究者の方々、そしてメディアの世論喚起にも期待したいと思います。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>では、社会保障改革の必要性はなぜあるのでしょうか。そもそも、社会保障というのは国民に安心、安定を与えるものです。一定の社会保障を政府が提供することによって、国民は生産、消費といった経済活動に安心して取り組むことができるようになります。また、社会的な弱者の救済、一時的な困難に陥った人々の支援など、民間の経済活動だけではカバーしきれない部分を、社会保障が支えていくのです。社会保障を考える時に、私は効率性と公平性が重要だと考えています。</p>
<p> </p>
<p>社会保障は国家から特定の人々への援助ですから、援助を受ける側（受益者）からすれば多ければ多いほど嬉しいものです。生活保護にせよ、年金にせよ、医療保険にせよ、あるいは公営保育にせよ、減らしましょうという話には容易にはならないものです。しかしこれらは全て国民の負担によって賄われています。先述しましたように、税金の多くの部分は実は社会保障のために使われているのです。ですから、効率性が極めて重要になります。また、殆どの社会保障は受益者が必ずしも国民全体ではありませんから公平性も重要になります。生活保護、高額医療保障、公営保育などは受益する人としない人がはっきりと分かれます。また国民の殆どが受け取る年金では、高齢にならない限り受け取らない訳ですから、ある時点で考えてみるともらっている人ともらっていない人がいるわけです。従って、公平性を忘れて社会保障を議論する事は出来ません。</p>
<p> </p>
<p>今の社会保障制度は、明らかに制度疲労を起こしています。これは日本に限らず世界中で起こっていることですが、この30～50年で多くの大きな変化が起こってきました。平均寿命が延び、ライフスタイルが多様化し、仕事のやり方が変わり、家族構成も変わってきています。例えば年金を考えると、平均寿命が大きく伸びてきていることを考えなければなりません。私が生まれた昭和39年には、男性の平均寿命は67.7歳でした。また、65歳の男性の平均余命は12.2年です。平成20年には平均寿命が79.3歳、65歳の男性の平均余命も18.6年に延びています。平均寿命の伸びは女性でさらに大きく、昭和39年の72.9歳から平成20年には86.1歳になっています。国民が長生きになるのは素晴らしいことですが、当然のことながら制度もそれに合わせて変えていかなければならないのです。</p>
<p> </p>
<p>65歳時の平均余命が12.2年であれば、65歳から年金を支給すれば平均して12.2年支給を続けることになりますが、平均余命が18.6年なら支給期間がざっと1.5倍になるわけです。支給の財政負担の大きさからだけ考えても寿命の延長に併せて支給開始年齢を上げていくことが必要になります。また、就業形態の多様化によってより高齢での就業も可能になりますし、終身雇用制が徐々に崩れて来れば50代で新たな職に移ったり起業したりする人も増え、65歳で仕事を終えるということが逆に不自然になってくるとも考えられます。高齢者が就労を続けることが若者の就労機会を減少させるという議論を聞くことがありますが、これはやり方次第です。確かに高齢者と若者が同じ仕事を取り合っているならば高齢者の就労増加が若者の失業を生むかも知れませんが、お互いが相手を必要とするような形であれば効果は逆になります。現にそうした人材活用を進めている企業もあります。経済学で言うところの代替か補完かの問題です。</p>
<p> </p>
<p>高額医療に対する保障などを考えると、国民が本当に求めている社会保障とは何なのかという疑問にぶち当たります。国民は社会保障の受益者でもありますが費用負担者でもあります。大きな負担をしながら大きな保障を受けたいか、小さな負担をしながら最低限の保障を受けたいか、一人一人の考え方はばらばらだと思います。これまでは費用負担と受益を切り離してばかり議論をしてきました。例えば政府は今も社会保障の機能強化を進めています。社会保障の機能が強化されると言われれば、受益者とすれば嬉しい話です。しかし、それがどれだけの費用のかかるものであり、国民一人一人の税金をどれだけ増やすことになるのか、費用負担者側からの議論も同時にしなければならないはずです。片側からだけの議論は、言葉は悪いですが一種の詐欺のようなものです。</p>
<p> </p>
<p>少子化対策も社会保障関連で扱われていますが、どうも短絡的な考え方が多く疑問を感じています。少子化対策は二つに分けて考えなければならないと思います。本当の少子化対策は、子供を持ちたい夫婦が持ちやすくなるような社会を作ることだと思います。働きながら子供を産み、育てていける環境を作ることには、保育園の増設だけではなく、雇用形態の多様化や男性の育児参加を促す方策など、様々なものがあるはずです。それらを全て検討しながら、効率よく環境整備をしていく必要があります。この少子化対策は、「本当の少子化対策」と表現しましたが、そのような社会を実現していこうとすれば結果として子供も増えるだろうという意味であって、少子化対策を目的とするということではないと思います。仮にいま我が国において子供の数が増えていたとしても、女性も含めた国民全てが自己実現できる社会をサポートする意味で行われるべき施策だと考えています。</p>
<p> </p>
<p>一方で、少子化対策と人口構成変化を結びつける議論を耳にしますが、違和感を感じざるを得ません。少子高齢化が進み、年金財政が苦しくなる、だから子供の数を増やしていかなければならないというのは、高齢者を支えるために子供を産めと言っているようで、不愉快に感じる時もあります。これについては全く別の考え方をするべきではないでしょうか。例えば、少子化を止めるのではなく少子化が進んでいくことを前提として、それでも世代間格差が発生しないように、年金を受給している世代の受給額を労働人口に連動させることも可能でしょう。あるいは海外からの労働力をもっと受け入れる方策を講ずるべきなのかも知れません。いずれにせよ、高齢者への年金受給を果たすために子供を増やせと言うのは、正しい議論だとは思いません。</p>
<p> </p>
<p>色々と書いてきましたが、社会保障改革が今必要な理由は、様々な前提条件が変わってきているからという一語に纏める事ができると思います。その上で、国民が求める受益と費用負担のバランスを考えていかなければなりません。厚生労働省は受益を増やすことしか考えていません。財務省は費用負担を国民に求めることしか考えていません。国民は本当に負担が増えてでも給付が大きくなることを望んでいるのでしょうか。今後更に高齢化が進んでいく中で、いま給付を増やしてしまうと、現役世代の将来の負担はその分が2倍、3倍になって跳ね返ってきます。逆にいま減らすことができれば、将来の負担はその2倍、3倍が軽減されることになるのです。政治家の私達も皆さんにこの問題を問いかけていかなければなりませんが、研究者の方々、そしてメディアの世論喚起にも期待したいと思います。</p>
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		<title>社会保障と税制（１）</title>
		<link>http://nakanishikenji.jp/blog/6380</link>
		<comments>http://nakanishikenji.jp/blog/6380#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 11 Jan 2012 03:43:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[政策]]></category>
		<category><![CDATA[私の主張]]></category>
		<category><![CDATA[社会保障]]></category>
		<category><![CDATA[税と社会保障]]></category>
		<category><![CDATA[財政健全化]]></category>

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		<description><![CDATA[
これまで政府与党内で行われてきた、税と社会保障の一体改革に関する議論は、通常国会での大きなテーマとなりますが、国会での議論に入る前に私自身の基本的な考え方を述べておこうと思います。
 
言うまでもなく、財政健全化と社会保障制度改革は、経済面で日本が解決しなければならない大きな問題です。この二つは非常に密接に結びついており、だからこそ政府も税と社会保障の一体改革として形だけでも取り組んできているのです。何故この二つが密接に結びついているのか、まずそこの確認をしておきましょう。その為には、国家予算を見てみれば一目瞭然です。
 
平成23年度の当初予算ベースで見ると、一般会計の歳出は全部で92.4兆円で、そのうちの基礎的財政収支と呼ばれる部分が70.9兆円です。これは、予算総額から国債関連費などを除いたものです。この70.9兆円のうち、社会保障費が28.7兆円にもなります。社会保障費は大きいというだけではなく、年々増加しているという特徴があります。これは同じ給付水準で高齢化が進めば当然のことですが、23年度では約1.4兆円増加しました。他の予算項目がすべて前年度比据え置きや削減を目指している中、「自然増」が続いている唯一の項目です。
 
ちなみに歳入側を見てみると、23年度の予算ベースでは租税・印紙収入が40.9兆円、税外収入が7.2兆円です。国家財政は基本的に租税収入を歳入のベースにしていかなければなりませんから、40.9兆円の収入で70.9兆円の支出をし、そのうち28.7兆円が増え続ける社会保障費というのがざっくりした姿です。
 
また、一般会計と特別会計を合算して見てみると、23年度では全体で220.3兆円の規模になっています。この中で一番大きな歳出項目は償還や利払いの国債費で82.2兆円です。その次が社会保障関連で75.0兆円です。その他、地方交付税が18.9兆円、財政投融資が15.2兆円とあり、公共事業や防衛費、文教費などは合計で28.9兆円しかありません。
 
社会保障給付の全体に注目してみますと、実は社会保障は全額が国の負担となっているわけではなく、地方、企業、個人が税や保険料のかたちで相当部分を負担しています。平成23年度で見ると、社会保障給付全体で支払いが107.8兆円になっています。このうち、年金が53.6兆円、医療が33.6兆円、介護・福祉他が20.6兆円です。社会保障にかかるお金は給付金だけではなく、関連費用もあります。
社会保障給付に使う財源としては、一番大きなものが保険料で59.6兆円で、国税、地方税の負担が合わせて39.4兆円。これだけだと99兆円ですので残りをなんとか資産運用収入でという状態です。実際には積立金の取り崩しを行って帳尻を合わせています。
 
このように見てくると、いかに社会保障関連の支出が、額だけではなく国家予算に占める割合としても大きいかがおわかりいただけると思います。日本の財政を考えるときに本丸とも言えるのが社会保障関連費なのです。しかも今後の高齢化に従って、何もしなければ支出はどんどん増えていきます。その様なことをふまえ、平成21年の税制改正で（最近よく言及される附則104条です）平成23年度までに抜本的な税制改革を行う為の法制上の措置を講ずることが定められ、さらに消費税の全額が「制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する費用に充てられること」を前提として消費税の税率を検討することが定められました。
 
さて、最初に財政健全化と社会保障改革という二つの問題を日本は解決していかなければならないと書きました。そして、社会保障関連支出が額としても割合としても非常に大きなものなので、財政健全化と社会保障改革は密接に結びついていると言うことをご説明しました。それでは、何故財政健全化が必要なのでしょうか。
 
財政健全化というのは、国の借金を減らすことです。日本の毎年の財政赤字や累積された政府債務が莫大な量に上っていることは周知の事実です。しかし、今のところ日本国債の市場は安定しており金利も低いままです。勿論何時何が起こるかわかりませんので、債務管理は慎重に行わなければなりませんが、ギリシャやイタリア、スペインなどが大変なことになっているから財政健全化が必要だという単純な話だけでは無いのです。
 
財政を中長期的には健全化させなければならない二つの大きな理由があります。第一に、政府の財政出動余力の確保です。東日本大震災や、リーマンショックなど、大きな財政出動が求められる局面が続きました。今後も不安定な世界情勢が続き、グローバル化の影響によって世界各地での出来事が日本経済に影響を与えることが予想されるならば、政府が財政支出を一時的に拡大する余力が重要になります。伸びきったゴムはそれ以上伸ばせません。何とかして一旦ゴムを弛ませなければならないのです。
 
もう一つの理由は、政府が大きな借金を抱え続けると言うことは、それだけ民間に資金が流れないということです。民間における資金需要が少ないから銀行は貸し出しができず国債を買っていると言われますが、鶏と玉子のようなところもあります。明らかに言えることは、国内の資金供給（貯蓄）は政府に貸し出される（国債）か民間に貸し出されるかのどちらかになりますから、政府借入が多ければ民間借入は大きくなれません。あるいは、民間借入が大きくなり始めれば政府借入は縮小せざるを得ず、それがスムーズにできなければ金利の暴騰を招きかねません。その意味でも、政府の借金は中長期的には減らしていく必要があるのです。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>これまで政府与党内で行われてきた、税と社会保障の一体改革に関する議論は、通常国会での大きなテーマとなりますが、国会での議論に入る前に私自身の基本的な考え方を述べておこうと思います。</p>
<p> </p>
<p>言うまでもなく、財政健全化と社会保障制度改革は、経済面で日本が解決しなければならない大きな問題です。この二つは非常に密接に結びついており、だからこそ政府も税と社会保障の一体改革として形だけでも取り組んできているのです。何故この二つが密接に結びついているのか、まずそこの確認をしておきましょう。その為には、国家予算を見てみれば一目瞭然です。</p>
<p> </p>
<p>平成23年度の当初予算ベースで見ると、一般会計の歳出は全部で92.4兆円で、そのうちの基礎的財政収支と呼ばれる部分が70.9兆円です。これは、予算総額から国債関連費などを除いたものです。この70.9兆円のうち、社会保障費が28.7兆円にもなります。社会保障費は大きいというだけではなく、年々増加しているという特徴があります。これは同じ給付水準で高齢化が進めば当然のことですが、23年度では約1.4兆円増加しました。他の予算項目がすべて前年度比据え置きや削減を目指している中、「自然増」が続いている唯一の項目です。</p>
<p> </p>
<p>ちなみに歳入側を見てみると、23年度の予算ベースでは租税・印紙収入が40.9兆円、税外収入が7.2兆円です。国家財政は基本的に租税収入を歳入のベースにしていかなければなりませんから、40.9兆円の収入で70.9兆円の支出をし、そのうち28.7兆円が増え続ける社会保障費というのがざっくりした姿です。</p>
<p> </p>
<p>また、一般会計と特別会計を合算して見てみると、23年度では全体で220.3兆円の規模になっています。この中で一番大きな歳出項目は償還や利払いの国債費で82.2兆円です。その次が社会保障関連で75.0兆円です。その他、地方交付税が18.9兆円、財政投融資が15.2兆円とあり、公共事業や防衛費、文教費などは合計で28.9兆円しかありません。</p>
<p> </p>
<p>社会保障給付の全体に注目してみますと、実は社会保障は全額が国の負担となっているわけではなく、地方、企業、個人が税や保険料のかたちで相当部分を負担しています。平成23年度で見ると、社会保障給付全体で支払いが107.8兆円になっています。このうち、年金が53.6兆円、医療が33.6兆円、介護・福祉他が20.6兆円です。社会保障にかかるお金は給付金だけではなく、関連費用もあります。</p>
<p>社会保障給付に使う財源としては、一番大きなものが保険料で59.6兆円で、国税、地方税の負担が合わせて39.4兆円。これだけだと99兆円ですので残りをなんとか資産運用収入でという状態です。実際には積立金の取り崩しを行って帳尻を合わせています。</p>
<p> </p>
<p>このように見てくると、いかに社会保障関連の支出が、額だけではなく国家予算に占める割合としても大きいかがおわかりいただけると思います。日本の財政を考えるときに本丸とも言えるのが社会保障関連費なのです。しかも今後の高齢化に従って、何もしなければ支出はどんどん増えていきます。その様なことをふまえ、平成21年の税制改正で（最近よく言及される附則104条です）平成23年度までに抜本的な税制改革を行う為の法制上の措置を講ずることが定められ、さらに消費税の全額が「制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する費用に充てられること」を前提として消費税の税率を検討することが定められました。</p>
<p> </p>
<p>さて、最初に財政健全化と社会保障改革という二つの問題を日本は解決していかなければならないと書きました。そして、社会保障関連支出が額としても割合としても非常に大きなものなので、財政健全化と社会保障改革は密接に結びついていると言うことをご説明しました。それでは、何故財政健全化が必要なのでしょうか。</p>
<p> </p>
<p>財政健全化というのは、国の借金を減らすことです。日本の毎年の財政赤字や累積された政府債務が莫大な量に上っていることは周知の事実です。しかし、今のところ日本国債の市場は安定しており金利も低いままです。勿論何時何が起こるかわかりませんので、債務管理は慎重に行わなければなりませんが、ギリシャやイタリア、スペインなどが大変なことになっているから財政健全化が必要だという単純な話だけでは無いのです。</p>
<p> </p>
<p>財政を中長期的には健全化させなければならない二つの大きな理由があります。第一に、政府の財政出動余力の確保です。東日本大震災や、リーマンショックなど、大きな財政出動が求められる局面が続きました。今後も不安定な世界情勢が続き、グローバル化の影響によって世界各地での出来事が日本経済に影響を与えることが予想されるならば、政府が財政支出を一時的に拡大する余力が重要になります。伸びきったゴムはそれ以上伸ばせません。何とかして一旦ゴムを弛ませなければならないのです。</p>
<p> </p>
<p>もう一つの理由は、政府が大きな借金を抱え続けると言うことは、それだけ民間に資金が流れないということです。民間における資金需要が少ないから銀行は貸し出しができず国債を買っていると言われますが、鶏と玉子のようなところもあります。明らかに言えることは、国内の資金供給（貯蓄）は政府に貸し出される（国債）か民間に貸し出されるかのどちらかになりますから、政府借入が多ければ民間借入は大きくなれません。あるいは、民間借入が大きくなり始めれば政府借入は縮小せざるを得ず、それがスムーズにできなければ金利の暴騰を招きかねません。その意味でも、政府の借金は中長期的には減らしていく必要があるのです。</p>
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		<title>2011年を振り返って（２）</title>
		<link>http://nakanishikenji.jp/blog/6323</link>
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		<pubDate>Tue, 27 Dec 2011 02:57:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
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		<category><![CDATA[司令塔]]></category>
		<category><![CDATA[組織]]></category>

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		<description><![CDATA[
税と社会保障の一体改革、消費税、TPP、財政再建などの大きな課題は全て、経済財政の根幹に関わる問題です。財政金融委員会と予算委員会に籍を置く議員として、これらには真っ向から取り組んでいかなければならないと考えています。しかし現状では、本質的な議論をするうえで必要な情報が開示されていないどころか、恐らくは政府内でも共有されていないだろうという状態です。例えば税制を変更すれば、それは経済活動に影響を与えます。そして、財政支出を行ってもそれは経済の様々なセクターに影響を与えます。これらがお互いに関連し合い、将来の経済状況を決定していくのです。政府で財政を最終的に管轄するのは財務省です。一方で成長戦略を管轄しているのは内閣府です。この二つの役所が将来の経済見通しを毎年作成していますが、この二つの見通しは同じ前提で同じモデルを用いている訳でもなく、またそのモデルの内部を公表していませんので、検証もできなければ議論も出来ません。私は何度も質問主意書で将来税収の見通しに関したより細かいデータを求めましたが、モデル内部の数値であるために外部に公表するほどの信ぴょう性はないから不可という事でした。中間変数に信ぴょう性が無いのに最終アウトプットを信じろと言われても、無理な話です。また税と社会保障の一体改革も「一体」というのは名ばかりで、税制は財務省が、社会保障は厚労省が別々に所管しながら「相互不可侵」の暗黙のルールのもと議論が進められ、本来税制と社会保障にまたがって議論されなければならない所得再分配に関する本質的な改革も行われそうもありません。
 
組織的な観点から司令塔を考えると、一元的な政治責任の明確化とスピード感が非常に重要です。多岐にわたるTPP交渉の利害関係をどのように調整していくのかという私の質問に対して、野田首相はご自分がリーダーシップをとるとおっしゃいました。最終的に内閣総理大臣に全ての責任が帰属するのは当然なのですが、全てを首相が裁決していくことなど当然現実的ではありません。そのためには的確な権限の移譲が必要なのです。自分の意を受けて、的確にその通りに決断を下していくことのできる部下が存在するような、しっかりした組織があって初めてリーダーシップは発揮できます。皆で相談しながらというような体制は「船頭多くして」という状況に繋がり、目まぐるしいテンポで展開する今の国際政治経済情勢においては機能不全になりかねません。なにを言い出すのか予測不能だった前任の二人の総理と比べると、野田総理は安定感はあります。また政治的に危険な決断も大所高所からやっていこうという意思が、時々垣間見えることもあります。しかし、司令塔不在の状況は続いていますし、「モノ言わぬ総理」と評されるように国民への説明という点ではまったく評価できません。
 
国家運営が大変な時に選挙などしている場合ではないという声もありますが、民主党と自民党が重要課題に対する党内での意見対立が明らかとなって分裂し、政界再編の契機となりうるのであれば、早期に総選挙を行う価値は十二分にあると思います。逆に、そういった思い切ったことを考えていかないと、いつまでたっても場当たり的な対応をすべての問題に対してとり続けることになるでしょう。重要課題に対する意見対立が国民の目に明らかである以上、2013年まで待つのではなく、2012年に日本の政治を動かしていかなければなりません。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>税と社会保障の一体改革、消費税、TPP、財政再建などの大きな課題は全て、経済財政の根幹に関わる問題です。財政金融委員会と予算委員会に籍を置く議員として、これらには真っ向から取り組んでいかなければならないと考えています。しかし現状では、本質的な議論をするうえで必要な情報が開示されていないどころか、恐らくは政府内でも共有されていないだろうという状態です。例えば税制を変更すれば、それは経済活動に影響を与えます。そして、財政支出を行ってもそれは経済の様々なセクターに影響を与えます。これらがお互いに関連し合い、将来の経済状況を決定していくのです。政府で財政を最終的に管轄するのは財務省です。一方で成長戦略を管轄しているのは内閣府です。この二つの役所が将来の経済見通しを毎年作成していますが、この二つの見通しは同じ前提で同じモデルを用いている訳でもなく、またそのモデルの内部を公表していませんので、検証もできなければ議論も出来ません。私は何度も質問主意書で将来税収の見通しに関したより細かいデータを求めましたが、モデル内部の数値であるために外部に公表するほどの信ぴょう性はないから不可という事でした。中間変数に信ぴょう性が無いのに最終アウトプットを信じろと言われても、無理な話です。また税と社会保障の一体改革も「一体」というのは名ばかりで、税制は財務省が、社会保障は厚労省が別々に所管しながら「相互不可侵」の暗黙のルールのもと議論が進められ、本来税制と社会保障にまたがって議論されなければならない所得再分配に関する本質的な改革も行われそうもありません。</p>
<p> </p>
<p>組織的な観点から司令塔を考えると、一元的な政治責任の明確化とスピード感が非常に重要です。多岐にわたるTPP交渉の利害関係をどのように調整していくのかという私の質問に対して、野田首相はご自分がリーダーシップをとるとおっしゃいました。最終的に内閣総理大臣に全ての責任が帰属するのは当然なのですが、全てを首相が裁決していくことなど当然現実的ではありません。そのためには的確な権限の移譲が必要なのです。自分の意を受けて、的確にその通りに決断を下していくことのできる部下が存在するような、しっかりした組織があって初めてリーダーシップは発揮できます。皆で相談しながらというような体制は「船頭多くして」という状況に繋がり、目まぐるしいテンポで展開する今の国際政治経済情勢においては機能不全になりかねません。なにを言い出すのか予測不能だった前任の二人の総理と比べると、野田総理は安定感はあります。また政治的に危険な決断も大所高所からやっていこうという意思が、時々垣間見えることもあります。しかし、司令塔不在の状況は続いていますし、「モノ言わぬ総理」と評されるように国民への説明という点ではまったく評価できません。</p>
<p> </p>
<p>国家運営が大変な時に選挙などしている場合ではないという声もありますが、民主党と自民党が重要課題に対する党内での意見対立が明らかとなって分裂し、政界再編の契機となりうるのであれば、早期に総選挙を行う価値は十二分にあると思います。逆に、そういった思い切ったことを考えていかないと、いつまでたっても場当たり的な対応をすべての問題に対してとり続けることになるでしょう。重要課題に対する意見対立が国民の目に明らかである以上、2013年まで待つのではなく、2012年に日本の政治を動かしていかなければなりません。</p>
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		<item>
		<title>2011年を振り返って（１）</title>
		<link>http://nakanishikenji.jp/blog/6304</link>
		<comments>http://nakanishikenji.jp/blog/6304#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 26 Dec 2011 00:35:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[政策]]></category>
		<category><![CDATA[私の主張]]></category>
		<category><![CDATA[リーダーシップ]]></category>
		<category><![CDATA[指導者]]></category>
		<category><![CDATA[政権交代]]></category>

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		<description><![CDATA[
今日は、今年最後の目ヂカラとして、今年一年の政治状況を全般的に振り返ってみたいと思います。
 
ねじれ国会のもとでマニフェストのバラマキと財政再建、税と社会保障の一体改革への迷走飛行が「思いつき」内閣のもとで続く中で、3月11日の大震災、原発事故が発生しました。菅政権は元々何を目指しているのか分からず、誰が指導者なのか、意思決定がどのようなプロセスで行われるのかもはっきりしない内閣でしたから、この震災・事故の対応がまともにできなかった事は当然と言えば当然です。震災後ここまで何とか回復の道をたどってこれているのも、決して政府のリーダーシップの成果などではなく、県や市町村、そして各生産拠点、ロジスティックス会社などの現場の努力のたまものです。今年の漢字は「絆」に決まったようですが、私にとっては「現場力」が最も印象に残った一年でした。
 
現場力が印象に残るという事は、政府の指導力が無かったということの裏返しです。これは国会議員としての自省も込めての思いですが、現場力を称えてばかりいてはいけない、政治のリーダーシップが必要だと強く感じています。災害からの急場の回復、復旧に於いては現場の力が非常に重要です。しかし、10年、20年、そして50年にも及ぶ計画を立て、財源を確保して執行していくことは、政府にしかできず、それこそが国政の重要な役割だと考えています。
 
振り返ってみると今年は、民主党政権がこのようなリーダーシップを全く持ち合わせていないということが誰の目にも明らかになった一年でした。政権交代当初は鳩山元総理の個人的な資質の問題かとも考えられましたが、菅前総理に変わっても状況は全く変わらず、これはもう民主党の党としての体質、能力による問題だとしか考えられなくなりました。問題は、私が繰り返しお話ししている様に、司令塔の不在なのです。司令塔という言葉で私は、二つのことを表しているつもりです。まず第一に、自分たちがどの様な思想、政治哲学を持ち、どちらの方向に日本を導いていこうとしているのかという根本的な考え方。そしてもう一つは、その目標に向けて政府を率い、様々な局面で発生する利害の対立を的確に政治的な解決をしていくリーダーシップです。明らかに民主党にこの二つは存在していません。
 
ビジネスの世界でも利害の対立を解決することは極めて重要ですが、政治の世界ではそれこそが本質だと私は感じています。多数決で全てを決めることは出来ず、かといって各個人の要望を全て聞き入れていくことは到底できない。そんな中で国民一人一人が公平だと納得できる政治を行っていくのは困難な道のりです。一番安易な方法は、各方面からの要望を全て聞き入れ、どんどんお金を使い、それを国民全体に税金の形で広く薄く負担させていくことです。高校無償化、子ども手当、農家戸別所得補償など、民主党のバラマキ政策は全てその形で進められてきました。そして、増税を議論するにしても社会保障の効率化は先送りして、結局のところ決して文句を言うことのない将来世代に全ての付けを回すというのが、民主党政治の姿です。
 
震災からの復興もそうですが、税と社会保障の一体改革、消費税、TPP、財政再建など、我々は今大きな課題をいくつも抱えています。これらに対してはいくつもの考え方があり、どのような政策がとられても必ず利害の対立は存在します。恐らく「最適解」の様なものは存在しないでしょうし、全ての国民が公平だと感じる答えも無いかもしれません。しかし、何らかの結論を出し、それに従って進んでいかなければならないことだけは明らかでしょう。困難な課題を、複雑な利害調整をしながら解決していくリーダーシップ、司令塔が今求められています。利害調節に万人が喜んで受け入れる最適解が無い以上、どのような哲学に基づいての判断なのかを、国民にしっかりと説明する必要があります。「国民への説明」というと、仕組みの細かい説明ばかりをやりがちですが、そんなことはパンフレットでも役所の窓口でもできることです。総理大臣が、内閣が行わなければいけない「国民への説明」というのは、課題が何であって、どのような選択肢が可能であり、その中からどのような政治哲学に基づいて決断したかの説明です。この「国民への説明」がまったく不十分なのではないでしょうか。
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			<content:encoded><![CDATA[
<p>今日は、今年最後の目ヂカラとして、今年一年の政治状況を全般的に振り返ってみたいと思います。</p>
<p> </p>
<p>ねじれ国会のもとでマニフェストのバラマキと財政再建、税と社会保障の一体改革への迷走飛行が「思いつき」内閣のもとで続く中で、3月11日の大震災、原発事故が発生しました。菅政権は元々何を目指しているのか分からず、誰が指導者なのか、意思決定がどのようなプロセスで行われるのかもはっきりしない内閣でしたから、この震災・事故の対応がまともにできなかった事は当然と言えば当然です。震災後ここまで何とか回復の道をたどってこれているのも、決して政府のリーダーシップの成果などではなく、県や市町村、そして各生産拠点、ロジスティックス会社などの現場の努力のたまものです。今年の漢字は「絆」に決まったようですが、私にとっては「現場力」が最も印象に残った一年でした。</p>
<p> </p>
<p>現場力が印象に残るという事は、政府の指導力が無かったということの裏返しです。これは国会議員としての自省も込めての思いですが、現場力を称えてばかりいてはいけない、政治のリーダーシップが必要だと強く感じています。災害からの急場の回復、復旧に於いては現場の力が非常に重要です。しかし、10年、20年、そして50年にも及ぶ計画を立て、財源を確保して執行していくことは、政府にしかできず、それこそが国政の重要な役割だと考えています。</p>
<p> </p>
<p>振り返ってみると今年は、民主党政権がこのようなリーダーシップを全く持ち合わせていないということが誰の目にも明らかになった一年でした。政権交代当初は鳩山元総理の個人的な資質の問題かとも考えられましたが、菅前総理に変わっても状況は全く変わらず、これはもう民主党の党としての体質、能力による問題だとしか考えられなくなりました。問題は、私が繰り返しお話ししている様に、司令塔の不在なのです。司令塔という言葉で私は、二つのことを表しているつもりです。まず第一に、自分たちがどの様な思想、政治哲学を持ち、どちらの方向に日本を導いていこうとしているのかという根本的な考え方。そしてもう一つは、その目標に向けて政府を率い、様々な局面で発生する利害の対立を的確に政治的な解決をしていくリーダーシップです。明らかに民主党にこの二つは存在していません。</p>
<p> </p>
<p>ビジネスの世界でも利害の対立を解決することは極めて重要ですが、政治の世界ではそれこそが本質だと私は感じています。多数決で全てを決めることは出来ず、かといって各個人の要望を全て聞き入れていくことは到底できない。そんな中で国民一人一人が公平だと納得できる政治を行っていくのは困難な道のりです。一番安易な方法は、各方面からの要望を全て聞き入れ、どんどんお金を使い、それを国民全体に税金の形で広く薄く負担させていくことです。高校無償化、子ども手当、農家戸別所得補償など、民主党のバラマキ政策は全てその形で進められてきました。そして、増税を議論するにしても社会保障の効率化は先送りして、結局のところ決して文句を言うことのない将来世代に全ての付けを回すというのが、民主党政治の姿です。</p>
<p> </p>
<p>震災からの復興もそうですが、税と社会保障の一体改革、消費税、TPP、財政再建など、我々は今大きな課題をいくつも抱えています。これらに対してはいくつもの考え方があり、どのような政策がとられても必ず利害の対立は存在します。恐らく「最適解」の様なものは存在しないでしょうし、全ての国民が公平だと感じる答えも無いかもしれません。しかし、何らかの結論を出し、それに従って進んでいかなければならないことだけは明らかでしょう。困難な課題を、複雑な利害調整をしながら解決していくリーダーシップ、司令塔が今求められています。利害調節に万人が喜んで受け入れる最適解が無い以上、どのような哲学に基づいての判断なのかを、国民にしっかりと説明する必要があります。「国民への説明」というと、仕組みの細かい説明ばかりをやりがちですが、そんなことはパンフレットでも役所の窓口でもできることです。総理大臣が、内閣が行わなければいけない「国民への説明」というのは、課題が何であって、どのような選択肢が可能であり、その中からどのような政治哲学に基づいて決断したかの説明です。この「国民への説明」がまったく不十分なのではないでしょうか。</p>
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		<title>格付け</title>
		<link>http://nakanishikenji.jp/blog/6174</link>
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		<pubDate>Thu, 15 Dec 2011 07:27:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[私の主張]]></category>
		<category><![CDATA[金融]]></category>
		<category><![CDATA[格付け]]></category>

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		<description><![CDATA[
また格付けが注目を浴びるようになってきています。今年は1月にS&#38;Pが日本国債の格付けを引き下げ、8月5日には米国債を格下げしました。8月24日には今度はムーディーズが日本国債を格下げしています。ちなみに、ムーディーズは米国債を格下げしていません。そして秋になると、S&#38;Pが9月19日にイタリアを格下げ。10月4日にムーディーズが同じくイタリアを格下げ。さらに10月13日にはS&#38;Pが、18日にはムーディーズがスペインを格下げしています。ムーディーズは11月29日に欧州15カ国の87銀行の債務格付けを引き下げる方向での見直しを発表し、12月9日には実際にフランスの大手三行を格下げしました。S&#38;Pは12月5日にドイツやフランスなどユーロ圏15カ国のソブリンを格下げする可能性を発表し、さらに6日には欧州金融安定基金（EFSF)の格付けも引き下げる方向での検討開始を発表しています。12日にはムーディーズがあらためて、来年第一四半期にEUすべての国の格付けを見直すと発表しています。格付会社にとっては大忙しの一年でしたし、当分この状態が続きそうです。格付会社は格付機関と呼ばれることもありますが、もともと公的な組織ではありませんでした。100％民間の会社で全く政府の監督を受けていない存在だったのですが、1975年に米国では「公認格付機関（NRSRO）」という概念が成立しました。それ以前からも格付けは米国の広義の金融監督で用いられてきましたが、この時点で「公認」という存在になったのです。2002年とずいぶん前のものですが、エンロン破綻を受けて作成された上院政府問題委員会スタッフによる報告書には、8つの連邦法、47の規則、100以上の州法（&#8221;at least eight federal statutes and 47 federal regulations, along with over 100 state laws and regulations&#8221;）で、公認格付機関格付けが利用されていると書かれています。年金や投資信託、証券会社の規制などで広く使われています。そして2006年にはとうとう格付機関改革法（Credit Rating Agency Reform Act of 2006）が作られ、SECによる監督の枠組みが作り上げられました。日本でも「金融商品取引法に基づく開示制度等において利用される格付機関を明らかにするため」に指定格付機関制度を金融庁が定めています。ここには格付投資情報センター（R&#38;I）や日本格付研究所（JCR）の他に、ムーディーズ、S&#38;P、フィッチといった「外資」も指定されています。日本の格付会社もNRSROにR&#38;IとJCRが入っていましたが、R&#38;Iは今年10月に米SECに対して登録取り下げを申請しました。このように格付けは日本でもアメリカでも金融監督行政に深く入り込んでいます。このことが多くの問題を引き起こしてきましたそもそも「格付け」というのはアメリカでの正式呼称”Nationally Recognized Statistical Rating Organization&#8221;を見ればわかるとおり、統計的な倒産確率、損失確率を、数字ではわかりにくいのでAとかAAとかグループ分けしているだけのものです。すべてがモデルに基づいた確率の話であり、これら大手格付会社と異なる意見を持つアナリストも存在します。つまり、万人が同意せざるを得ない物理的法則などによって決まっているものではなく、その時々で格付会社が用いているモデルと入力変数によって計算されるもので、不確実であり、いつ修正されるかわからないものです。格付けに意味が無いわけではありません。格付会社は莫大な予算を組んで情報を集積し、モデルを構築して債券発行体の返済能力の分析を行っています。その分析結果には明らかに価値があります。問題はそれがいつの間にか公的なものとして使われるようになってしまったことです。米国のように「公認格付機関」であったり日本のように「指定格付機関」であったり、国が公認したり指定するとその民間企業が報告する格付けが絶対のように思えてきます。なんと言っても、格付会社の格付けに従って監督行政が行われたりするわけですから、例え金融機関の独自の分析が格付会社のそれと異なった結果を出していたとしても、最終的には格付会社の判断に倣わざるを得ません。これは三つの問題を引き起こしてきました。一つは金融機関の内部における与信審査能力の衰退です。大手金融機関であればともかく、中小金融機関になると格付けを100％信頼してその通りの判断をしていくことが、最も容易で合理的な道となってきました。二つ目は、仮に格付会社のモデルの不具合に大手金融機関が気づいたとき、それを利用して一儲けしようという動機が金融機関に発生することです。同じ発行体であっても例えばムーディーズとS&#38;P、フィッチの間で格付けが異なることは昔から良くありました。特に証券化商品となると、それぞれの格付会社に「癖」があり、証券会社はそれを活用します。三つ目は、格付会社の判断が投資行動の基準になっていると、どうしても金融システムの中にシステミック・リスクが発生しやすくなります。自分で考えるよりも人に考えて貰う方が簡単だと皆が思い始めると、本来皆がばらばらな投資行動をとることで保たれているはずの市場の安定性が、極端に一方向に振れるようになったりしてしまうのです。アセットバックCPやサブプライムは、良い例です。金融監督当局の格付けの利用は、ノルウェー輸出金融公社の大幅な格下げで個人や中小企業にも影響を与えることになりました。この公社は半官半民の資本構造を持つ、日本のJBICの様な役割の金融機関です。これがEUの資本規制の問題で上手く機能しなくなってきたので、ノルウェー政府が他の政府部門で公社の仕事を肩代わりさせると発表したために、11月22日にムーディーズがAa3からBa1へと7ノッチ引き下げ、25日にはS&#38;PがAAからBBB+へ5ノッチ引き下げたのです。本当に公社の債務弁済能力が低下したのかどうかはともかく、5ノッチや7ノッチの引き下げともなると、価格が大幅に低下するのみならずムーディーズの引き下げではいわゆる「投資適格債券」でなくなりました。ジャンク債と呼ばれるカテゴリーにされてしまったのです。個人や中小企業などがデリバティブの組み込まれた仕組債を購入するとき、ノルウェー輸出金融公社は頻繁に用いられる発行体でした。政府がお墨付きを出している格付会社がAAやAa3といった高い格付けを付与していると証券会社から説明されると、金融にそれほど詳しくない投資家であれば仕組債自身に必要以上の安心感を覚えてしまうでしょう。今回の一連のヨーロッパの格下げを見ていても、確かに格付会社にとっては状況の変化によって、明らかにモデル上の債務不履行確率が変化してきており、それをタイムリーに格付けに反映させて公表していくことは重要なのでしょう。しかし民間企業の格付けと違い、日本、アメリカ、ヨーロッパなどの国債格付け、あるいはEFSF債の格付けは、政治によって大きく左右されるはずのものです。従って本来の格付会社の強みが必ずしも生かせる分野ではありません。それなりに割り引いて考えるべき情報のはずなのですが、金融監督行政にここまでしっかり組み込まれていると、額面通りに受け取らなければいけなくなってしまいます。これは、画一的な金融監督行政が場合によってはシステミック・リスクを増大させている可能性すら存在することを意味します。日本においても、地方金融機関や小規模投資家の行動パターンなども十分に考慮した上で、格付けとどのように行政が関わるべきかをもう一度考え直してみるべきだと思います。投資対象のリスクを判断するのは、あくまでも投資家です。その為の参考情報として外部の調査分析を活用するのは大変結構ですが、最終的な投資判断を他人にゆだねることはできません。「われわれはA格以上しか買いませんから」というような他者に依存した「投資判断」は投資家にとっても、金融システムにとっても危険であるということを、再認識する必要があると思います。自分で判断できないのであれば、そのような投資対象への投資を行わないという決断も、視野に入れるべきではないでしょうか。
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			<content:encoded><![CDATA[
<p>また格付けが注目を浴びるようになってきています。今年は1月にS&amp;Pが日本国債の格付けを引き下げ、8月5日には米国債を格下げしました。8月24日には今度はムーディーズが日本国債を格下げしています。ちなみに、ムーディーズは米国債を格下げしていません。そして秋になると、S&amp;Pが9月19日にイタリアを格下げ。10月4日にムーディーズが同じくイタリアを格下げ。さらに10月13日にはS&amp;Pが、18日にはムーディーズがスペインを格下げしています。ムーディーズは11月29日に欧州15カ国の87銀行の債務格付けを引き下げる方向での見直しを発表し、12月9日には実際にフランスの大手三行を格下げしました。S&amp;Pは12月5日にドイツやフランスなどユーロ圏15カ国のソブリンを格下げする可能性を発表し、さらに6日には欧州金融安定基金（EFSF)の格付けも引き下げる方向での検討開始を発表しています。12日にはムーディーズがあらためて、来年第一四半期にEUすべての国の格付けを見直すと発表しています。格付会社にとっては大忙しの一年でしたし、当分この状態が続きそうです。<br /><br />格付会社は格付機関と呼ばれることもありますが、もともと公的な組織ではありませんでした。100％民間の会社で全く政府の監督を受けていない存在だったのですが、1975年に米国では「公認格付機関（NRSRO）」という概念が成立しました。それ以前からも格付けは米国の広義の金融監督で用いられてきましたが、この時点で「公認」という存在になったのです。2002年とずいぶん前のものですが、エンロン破綻を受けて作成された上院政府問題委員会スタッフによる報告書には、8つの連邦法、47の規則、100以上の州法（&#8221;at least eight federal statutes and 47 federal regulations, along with over 100 state laws and regulations&#8221;）で、公認格付機関格付けが利用されていると書かれています。年金や投資信託、証券会社の規制などで広く使われています。そして2006年にはとうとう格付機関改革法（Credit Rating Agency Reform Act of 2006）が作られ、SECによる監督の枠組みが作り上げられました。日本でも「金融商品取引法に基づく開示制度等において利用される格付機関を明らかにするため」に指定格付機関制度を金融庁が定めています。ここには格付投資情報センター（R&amp;I）や日本格付研究所（JCR）の他に、ムーディーズ、S&amp;P、フィッチといった「外資」も指定されています。日本の格付会社もNRSROにR&amp;IとJCRが入っていましたが、R&amp;Iは今年10月に米SECに対して登録取り下げを申請しました。<br /><br />このように格付けは日本でもアメリカでも金融監督行政に深く入り込んでいます。このことが多くの問題を引き起こしてきました<br /><br />そもそも「格付け」というのはアメリカでの正式呼称”Nationally Recognized Statistical Rating Organization&#8221;を見ればわかるとおり、統計的な倒産確率、損失確率を、数字ではわかりにくいのでAとかAAとかグループ分けしているだけのものです。すべてがモデルに基づいた確率の話であり、これら大手格付会社と異なる意見を持つアナリストも存在します。つまり、万人が同意せざるを得ない物理的法則などによって決まっているものではなく、その時々で格付会社が用いているモデルと入力変数によって計算されるもので、不確実であり、いつ修正されるかわからないものです。<br /><br />格付けに意味が無いわけではありません。格付会社は莫大な予算を組んで情報を集積し、モデルを構築して債券発行体の返済能力の分析を行っています。その分析結果には明らかに価値があります。問題はそれがいつの間にか公的なものとして使われるようになってしまったことです。米国のように「公認格付機関」であったり日本のように「指定格付機関」であったり、国が公認したり指定するとその民間企業が報告する格付けが絶対のように思えてきます。なんと言っても、格付会社の格付けに従って監督行政が行われたりするわけですから、例え金融機関の独自の分析が格付会社のそれと異なった結果を出していたとしても、最終的には格付会社の判断に倣わざるを得ません。<br /><br />これは三つの問題を引き起こしてきました。一つは金融機関の内部における与信審査能力の衰退です。大手金融機関であればともかく、中小金融機関になると格付けを100％信頼してその通りの判断をしていくことが、最も容易で合理的な道となってきました。二つ目は、仮に格付会社のモデルの不具合に大手金融機関が気づいたとき、それを利用して一儲けしようという動機が金融機関に発生することです。同じ発行体であっても例えばムーディーズとS&amp;P、フィッチの間で格付けが異なることは昔から良くありました。特に証券化商品となると、それぞれの格付会社に「癖」があり、証券会社はそれを活用します。三つ目は、格付会社の判断が投資行動の基準になっていると、どうしても金融システムの中にシステミック・リスクが発生しやすくなります。自分で考えるよりも人に考えて貰う方が簡単だと皆が思い始めると、本来皆がばらばらな投資行動をとることで保たれているはずの市場の安定性が、極端に一方向に振れるようになったりしてしまうのです。アセットバックCPやサブプライムは、良い例です。<br /><br />金融監督当局の格付けの利用は、ノルウェー輸出金融公社の大幅な格下げで個人や中小企業にも影響を与えることになりました。この公社は半官半民の資本構造を持つ、日本のJBICの様な役割の金融機関です。これがEUの資本規制の問題で上手く機能しなくなってきたので、ノルウェー政府が他の政府部門で公社の仕事を肩代わりさせると発表したために、11月22日にムーディーズがAa3からBa1へと7ノッチ引き下げ、25日にはS&amp;PがAAからBBB+へ5ノッチ引き下げたのです。本当に公社の債務弁済能力が低下したのかどうかはともかく、5ノッチや7ノッチの引き下げともなると、価格が大幅に低下するのみならずムーディーズの引き下げではいわゆる「投資適格債券」でなくなりました。ジャンク債と呼ばれるカテゴリーにされてしまったのです。個人や中小企業などがデリバティブの組み込まれた仕組債を購入するとき、ノルウェー輸出金融公社は頻繁に用いられる発行体でした。政府がお墨付きを出している格付会社がAAやAa3といった高い格付けを付与していると証券会社から説明されると、金融にそれほど詳しくない投資家であれば仕組債自身に必要以上の安心感を覚えてしまうでしょう。<br /><br />今回の一連のヨーロッパの格下げを見ていても、確かに格付会社にとっては状況の変化によって、明らかにモデル上の債務不履行確率が変化してきており、それをタイムリーに格付けに反映させて公表していくことは重要なのでしょう。しかし民間企業の格付けと違い、日本、アメリカ、ヨーロッパなどの国債格付け、あるいはEFSF債の格付けは、政治によって大きく左右されるはずのものです。従って本来の格付会社の強みが必ずしも生かせる分野ではありません。それなりに割り引いて考えるべき情報のはずなのですが、金融監督行政にここまでしっかり組み込まれていると、額面通りに受け取らなければいけなくなってしまいます。これは、画一的な金融監督行政が場合によってはシステミック・リスクを増大させている可能性すら存在することを意味します。<br /><br />日本においても、地方金融機関や小規模投資家の行動パターンなども十分に考慮した上で、格付けとどのように行政が関わるべきかをもう一度考え直してみるべきだと思います。投資対象のリスクを判断するのは、あくまでも投資家です。その為の参考情報として外部の調査分析を活用するのは大変結構ですが、最終的な投資判断を他人にゆだねることはできません。「われわれはA格以上しか買いませんから」というような他者に依存した「投資判断」は投資家にとっても、金融システムにとっても危険であるということを、再認識する必要があると思います。自分で判断できないのであれば、そのような投資対象への投資を行わないという決断も、視野に入れるべきではないでしょうか。</p>
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		<title>経済成長と「人」</title>
		<link>http://nakanishikenji.jp/blog/5273</link>
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		<pubDate>Fri, 14 Oct 2011 09:02:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[私の主張]]></category>
		<category><![CDATA[経済]]></category>
		<category><![CDATA[労働力]]></category>
		<category><![CDATA[雇用]]></category>

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		<description><![CDATA[
日本経済は1991年のバブル崩壊以来、低迷を続けてきています。どのような指標によって経済の力を測るかによって落ち込みの大きさに関して違う見方があったり、あるいは所々経済力が回復しているように見える場所があったりもしますが、基本的に大きなトレンドとして下向きであった、右肩下がりであったということには異論がないでしょう。
 
日本は今、震災からの復興という大きな課題に直面していますが、たとえ復興が着実にすすんだとしても、それだけでは日本経済全体としてはまた元の右肩下がりに戻るだけです。これからの日本を考えるとき、復興だけではなくその先のことも忘れるわけにはいきません。特に、この右肩下がりの20年間で日本は多額の政府債務を積み上げてきました。そして、復興のために、もちろん必要な事ですが、それに更なる上積みがなされます。復興債を発行しようが、建設国債を発行しようが、あるいは「埋蔵金」を取り崩そうが、税収以外の財源によって政府支出がなされる限り政府の純債務が増加することに変わりはありません。
 
この膨れ上がっていく債務を私たちはいずれ返済しなければならず、そのためには何としても経済を成長させていかなければなりません。日本経済を如何に成長させていくかについての私の考えを、最も重要な要素である「人」に光を当ててご説明したいと思います。
 
経済学の基本に立ち返って考えれば、経済成長を実現するために有効なのは労働力や資本といった生産要素を増加させることと、一定の労働力と資本を用いたときの生産物を増やす、つまり生産性の向上です。日本では人口は総体で見ても減少を始めており、特に労働人口ははっきりとした減少トレンドにあります。日本には大量の資本もありますが、資本というものは非常に動きの速いものです。資本移動に関してはかなり自由化を進めてきましたから、日本国内で如何に資本が不足、あるいは過剰であっても、日本における資本生産性が高まれば資本は自然と日本に集まってきます。人口をすぐに増やすことはできませんし、大量の移民受け入れというような話も現実的ではありませんので、私は生産性の向上が何よりも重要だと思っています。
 
生産性というと、効率性という言葉に結び付けて考えがちですが、必ずしもそれだけではありません。日本経済全体というマクロな観点に立った場合、個々の生産活動の効率性を高めることだけではなく、生産性の高い産業に対する適切な労働力と資本の配分を行っていくことが非常に重要です。第一次産業、第二次産業、第三次産業といった言葉は古くからありますが、経済の産業構造はどんどん進化していきます。いわゆるITが我々を取り巻くようになって以来、この進化は非常に速くなっています。つまり、今日の花形産業が来年には斜陽産業になっているかもしれませんし、再来年世界経済を引っ張っていく産業は今日ではその萌芽すら存在しないかもしれないのです。そのような環境では、労働力（ヒト）と資本（カネ）が高い流動性を持って移動しなければ、生産性が落ちてしまった産業にいつまでも貴重な生産資源が貼り付けになってしまうことになります。
 
資本に関しては先述の通り日本でも非常に流動性が高まっています。しかし一方では、銀行の追い貸しによって本来は退場しているべき企業が存在し続けているケースも依然見られます。これは「ゾンビ企業」と呼ばれますが、ゾンビ企業に貼り付けられている資本は端的にいうと無駄になっている資本です。このような企業が存続することは資本の無駄遣いになるのですが、それ以上に問題なのはこれらの企業が雇用を行っていることです。雇用はあればよいというものではありません。本来生産性の高い企業であれば、労働者は努力することによって賃金の上昇を獲得することができますが、存在すべきではない低生産性の企業では、労働者はいくら頑張っても報われません。
 
今ご説明したことの「企業」を「産業」に置き換えて考えても、まったく同じことが言えるのです。すでに国際的な競争力が失われてしまったような産業が、政府の直接、間接の支援によって生きながらえているケースというのは一般論としては存在します。そして、産業全体で考えたときに最も重要な問題だと私が考えているのは、このような競争力を失いつつある産業から新しい、より生産性の高い産業へと労働力の移転がなかなか進まないということです。「労働力の移転」と書くととても抽象的ですが、一人ひとりの労働者がひとつの仕事を辞め、新しい仕事に就くという転職こそが、この「労働力の移転」の実質です。労働者がひとつの企業に就職し、その企業で社会人生活を全うするという終身雇用的な労働観でいると、雇用者であるところの企業そのものが国際環境の変化に応じて自らの業態を変えて行かない限り、労働者はいずれ生産性が低い企業、産業で働くことを余儀なくされる事になります。では、企業そのものがどんどん新しい産業に進出していけば良いかというと、幾つかの問題がありそれは簡単ではありません。最大の問題は、企業にとって労働力と同じく重要な生産要素である資本を獲得する上で、行き過ぎた多角化やめまぐるしい業態変化は不利に働くことになるからです。株主や債権者にとって、今年と来年で違うことをやっているような会社に出資、融資するというのは、その判断が非常に難しくなります。
 
このように少し冷めた目で考えると、日本経済を復活復興させていくには個々の労働者が容易に新しい職場に転職していける仕組みが重要だということになります。企業の側を考えると、産業全体として生産性が落ち込んでしまった場合は国内、海外で移転して生産性を高めるか、それが無理であれば廃業、清算をして、資本と労働力を新しい企業、産業のために提供する必要があります。合理的な資本主義の観点からは、生産性を持続的に高めていくためにはこれが正当な考え方ではありますが、これでは様々な場所で大小の痛みが発生します。特に問題なのは、労働者の生活がなかなか安定しないということです。労働者の生活安定のためには終身雇用のような就労形態で、かつその雇用主たる企業が安定していれば最高です。従ってこれまでの日本の政策では、企業が終身雇用を守るように労働者の解雇を困難にし、かつ企業が潰れにくいように銀行による低生産性企業への融資（不良債権）を容認するようなものでした。これは、世界経済が右肩上がりで伸びていて単純な工業品に対する需要が伸び続けているような状況では持続可能ですが、世界的に生産力が十分に存在し、新興国の追い上げも激しくなっているような今日、日本はその政策の根本的な考え方を変えていかなければならないと私は思います。
 
労働力の流動化が極めて重要であるという観点に立った時、政府がなすべきことは何でしょうか。
 
まず、流動化を促進するためには、それを阻害してきた規制を撤廃し、労働法制などを抜本的に見なおしていくことが必要です。更に、生産性が落ち込んでしまった企業や産業がいつまでも銀行の延命策にすがりながら雇用を続けることがないように、不良債権の査定など金融検査制度も見なおしていくことが重要でしょう。また、政府による投融資や特定産業への税制優遇などはかえって資源の最適配分を歪め、生産性の向上を阻害することがありますから、基本は規制緩和です。そして、何よりも大切なのが、労働力流動化のプロセスの痛みを緩和するためのセイフティーネット拡充です。OECDの統計などを見ますと、日本の直接の雇用対策政府支出は下から数えたほうが良いような成績です。これは、これまで雇用対策を政府ではなく民間企業が行なってきたことの証左です。これでは、世界市場で通用する競争力を持つ企業を作っていくことはできません。セイフティーネットは政府の手で拡充する必要があります。
 
具体的には、まず雇用保険、健康保険、年金保険などの社会保障が雇用形態によって差別的悪影響を受けないことをしっかり担保する必要があります。そして、労働者がそのキャリアの途中で転職をする際に必要な職業訓練などを充実させなければなりません。勿論「フリーライダー」の問題など、制度を悪用する人々が出てくることも考えられますが、これは民間企業が雇用対策を行なっていても同じ事です。まずは労働力を流動化し、そこで発生する痛みを国がケアすることに重点をおいて考えていくべきだと思います。
 
TPPなどの貿易、経済協力協定は国内企業や生産者を競争に晒すことによって、効率的な資源再配分を促進します。しかし、様々な産業で「痛み」が発生し、それを避けようとするために議論がなかなか進みません。しかし、日本経済が更に成長していくためには「痛み」は必要なのです。痛みによって初めて世の中は動き出します。高度成長は敗戦という大きな痛みをバネにしたものだったのではないでしょうか。痛いからやらないのではなく、痛いからこそ頑張ってやって、その傷口にはしっかりとセイフティーネットで手当てすることが重要だというのが私の基本的な考え方です。小泉改革は、日本を動かすという意味では非常に重要で有意義なものでした。しかし、痛みを強いるだけで、セイフティーネットの提供が十分に行われたとは思えません。労働市場の自由化の遅れが経済成長における一番のボトルネックになっていると私は考えています。社会保障が雇用形態によって差別的悪影響を受けないことをしっかり担保した上で雇用に関する規制を撤廃していくならば、その結果生じる流動的な労働市場では雇用者と労働者が常に最適な関係を探すというある種の緊張関係が生まれ、そこでは女性の社会進出が更に進むとも考えています。今後の日本経済成長にとって最重要な労働市場改革は、連合に支えられている民主党には決して遂行できません。しがらみのない私たちの手で、この改革に取り組んでいきたいと考えています。
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			<content:encoded><![CDATA[
<p>日本経済は1991年のバブル崩壊以来、低迷を続けてきています。どのような指標によって経済の力を測るかによって落ち込みの大きさに関して違う見方があったり、あるいは所々経済力が回復しているように見える場所があったりもしますが、基本的に大きなトレンドとして下向きであった、右肩下がりであったということには異論がないでしょう。</p>
<p> </p>
<p>日本は今、震災からの復興という大きな課題に直面していますが、たとえ復興が着実にすすんだとしても、それだけでは日本経済全体としてはまた元の右肩下がりに戻るだけです。これからの日本を考えるとき、復興だけではなくその先のことも忘れるわけにはいきません。特に、この右肩下がりの20年間で日本は多額の政府債務を積み上げてきました。そして、復興のために、もちろん必要な事ですが、それに更なる上積みがなされます。復興債を発行しようが、建設国債を発行しようが、あるいは「埋蔵金」を取り崩そうが、税収以外の財源によって政府支出がなされる限り政府の純債務が増加することに変わりはありません。</p>
<p> </p>
<p>この膨れ上がっていく債務を私たちはいずれ返済しなければならず、そのためには何としても経済を成長させていかなければなりません。日本経済を如何に成長させていくかについての私の考えを、最も重要な要素である「人」に光を当ててご説明したいと思います。</p>
<p> </p>
<p>経済学の基本に立ち返って考えれば、経済成長を実現するために有効なのは労働力や資本といった生産要素を増加させることと、一定の労働力と資本を用いたときの生産物を増やす、つまり生産性の向上です。日本では人口は総体で見ても減少を始めており、特に労働人口ははっきりとした減少トレンドにあります。日本には大量の資本もありますが、資本というものは非常に動きの速いものです。資本移動に関してはかなり自由化を進めてきましたから、日本国内で如何に資本が不足、あるいは過剰であっても、日本における資本生産性が高まれば資本は自然と日本に集まってきます。人口をすぐに増やすことはできませんし、大量の移民受け入れというような話も現実的ではありませんので、私は生産性の向上が何よりも重要だと思っています。</p>
<p> </p>
<p>生産性というと、効率性という言葉に結び付けて考えがちですが、必ずしもそれだけではありません。日本経済全体というマクロな観点に立った場合、個々の生産活動の効率性を高めることだけではなく、生産性の高い産業に対する適切な労働力と資本の配分を行っていくことが非常に重要です。第一次産業、第二次産業、第三次産業といった言葉は古くからありますが、経済の産業構造はどんどん進化していきます。いわゆるITが我々を取り巻くようになって以来、この進化は非常に速くなっています。つまり、今日の花形産業が来年には斜陽産業になっているかもしれませんし、再来年世界経済を引っ張っていく産業は今日ではその萌芽すら存在しないかもしれないのです。そのような環境では、労働力（ヒト）と資本（カネ）が高い流動性を持って移動しなければ、生産性が落ちてしまった産業にいつまでも貴重な生産資源が貼り付けになってしまうことになります。</p>
<p> </p>
<p>資本に関しては先述の通り日本でも非常に流動性が高まっています。しかし一方では、銀行の追い貸しによって本来は退場しているべき企業が存在し続けているケースも依然見られます。これは「ゾンビ企業」と呼ばれますが、ゾンビ企業に貼り付けられている資本は端的にいうと無駄になっている資本です。このような企業が存続することは資本の無駄遣いになるのですが、それ以上に問題なのはこれらの企業が雇用を行っていることです。雇用はあればよいというものではありません。本来生産性の高い企業であれば、労働者は努力することによって賃金の上昇を獲得することができますが、存在すべきではない低生産性の企業では、労働者はいくら頑張っても報われません。</p>
<p> </p>
<p>今ご説明したことの「企業」を「産業」に置き換えて考えても、まったく同じことが言えるのです。すでに国際的な競争力が失われてしまったような産業が、政府の直接、間接の支援によって生きながらえているケースというのは一般論としては存在します。そして、産業全体で考えたときに最も重要な問題だと私が考えているのは、このような競争力を失いつつある産業から新しい、より生産性の高い産業へと労働力の移転がなかなか進まないということです。「労働力の移転」と書くととても抽象的ですが、一人ひとりの労働者がひとつの仕事を辞め、新しい仕事に就くという転職こそが、この「労働力の移転」の実質です。労働者がひとつの企業に就職し、その企業で社会人生活を全うするという終身雇用的な労働観でいると、雇用者であるところの企業そのものが国際環境の変化に応じて自らの業態を変えて行かない限り、労働者はいずれ生産性が低い企業、産業で働くことを余儀なくされる事になります。では、企業そのものがどんどん新しい産業に進出していけば良いかというと、幾つかの問題がありそれは簡単ではありません。最大の問題は、企業にとって労働力と同じく重要な生産要素である資本を獲得する上で、行き過ぎた多角化やめまぐるしい業態変化は不利に働くことになるからです。株主や債権者にとって、今年と来年で違うことをやっているような会社に出資、融資するというのは、その判断が非常に難しくなります。</p>
<p> </p>
<p>このように少し冷めた目で考えると、日本経済を復活復興させていくには個々の労働者が容易に新しい職場に転職していける仕組みが重要だということになります。企業の側を考えると、産業全体として生産性が落ち込んでしまった場合は国内、海外で移転して生産性を高めるか、それが無理であれば廃業、清算をして、資本と労働力を新しい企業、産業のために提供する必要があります。合理的な資本主義の観点からは、生産性を持続的に高めていくためにはこれが正当な考え方ではありますが、これでは様々な場所で大小の痛みが発生します。特に問題なのは、労働者の生活がなかなか安定しないということです。労働者の生活安定のためには終身雇用のような就労形態で、かつその雇用主たる企業が安定していれば最高です。従ってこれまでの日本の政策では、企業が終身雇用を守るように労働者の解雇を困難にし、かつ企業が潰れにくいように銀行による低生産性企業への融資（不良債権）を容認するようなものでした。これは、世界経済が右肩上がりで伸びていて単純な工業品に対する需要が伸び続けているような状況では持続可能ですが、世界的に生産力が十分に存在し、新興国の追い上げも激しくなっているような今日、日本はその政策の根本的な考え方を変えていかなければならないと私は思います。</p>
<p> </p>
<p>労働力の流動化が極めて重要であるという観点に立った時、政府がなすべきことは何でしょうか。</p>
<p> </p>
<p>まず、流動化を促進するためには、それを阻害してきた規制を撤廃し、労働法制などを抜本的に見なおしていくことが必要です。更に、生産性が落ち込んでしまった企業や産業がいつまでも銀行の延命策にすがりながら雇用を続けることがないように、不良債権の査定など金融検査制度も見なおしていくことが重要でしょう。また、政府による投融資や特定産業への税制優遇などはかえって資源の最適配分を歪め、生産性の向上を阻害することがありますから、基本は規制緩和です。そして、何よりも大切なのが、労働力流動化のプロセスの痛みを緩和するためのセイフティーネット拡充です。OECDの統計などを見ますと、日本の直接の雇用対策政府支出は下から数えたほうが良いような成績です。これは、これまで雇用対策を政府ではなく民間企業が行なってきたことの証左です。これでは、世界市場で通用する競争力を持つ企業を作っていくことはできません。セイフティーネットは政府の手で拡充する必要があります。</p>
<p> </p>
<p>具体的には、まず雇用保険、健康保険、年金保険などの社会保障が雇用形態によって差別的悪影響を受けないことをしっかり担保する必要があります。そして、労働者がそのキャリアの途中で転職をする際に必要な職業訓練などを充実させなければなりません。勿論「フリーライダー」の問題など、制度を悪用する人々が出てくることも考えられますが、これは民間企業が雇用対策を行なっていても同じ事です。まずは労働力を流動化し、そこで発生する痛みを国がケアすることに重点をおいて考えていくべきだと思います。</p>
<p> </p>
<p>TPPなどの貿易、経済協力協定は国内企業や生産者を競争に晒すことによって、効率的な資源再配分を促進します。しかし、様々な産業で「痛み」が発生し、それを避けようとするために議論がなかなか進みません。しかし、日本経済が更に成長していくためには「痛み」は必要なのです。痛みによって初めて世の中は動き出します。高度成長は敗戦という大きな痛みをバネにしたものだったのではないでしょうか。痛いからやらないのではなく、痛いからこそ頑張ってやって、その傷口にはしっかりとセイフティーネットで手当てすることが重要だというのが私の基本的な考え方です。小泉改革は、日本を動かすという意味では非常に重要で有意義なものでした。しかし、痛みを強いるだけで、セイフティーネットの提供が十分に行われたとは思えません。<br />労働市場の自由化の遅れが経済成長における一番のボトルネックになっていると私は考えています。社会保障が雇用形態によって差別的悪影響を受けないことをしっかり担保した上で雇用に関する規制を撤廃していくならば、その結果生じる流動的な労働市場では雇用者と労働者が常に最適な関係を探すというある種の緊張関係が生まれ、そこでは女性の社会進出が更に進むとも考えています。今後の日本経済成長にとって最重要な労働市場改革は、連合に支えられている民主党には決して遂行できません。しがらみのない私たちの手で、この改革に取り組んでいきたいと考えています。</p>
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		<title>ユーロ圏経済問題について想う</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Sep 2011 07:57:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[経済]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ]]></category>

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		<description><![CDATA[
ユーロ圏の経済混乱が続いています。ギリシャがデフォルトするのか、イタリアは、ポルトガルはどうなるのか、そしてドイツはどうやってこれらの国々を助けていくのか。予断を許さない局面が連続し、世界中が固唾をのんで見守っています。そんな中で中国がイタリア国債を購入するとか、スイス中央銀行の為替政策によってスイス円の為替レートが急落して日本国内の個人投資家が損失を被ったり、影響は裾野を広げてきていると言っても良いでしょう。
フランスの銀行はギリシャなどの国債保有額が大きいと言うことで資本市場で厳しい目で見られるようになり、資金繰りにそれなりの努力が必要な状況になっているようです。資金繰りをサポートするために各国中央銀行が年末越えのドル資金を無制限に貸し出すという対策を発表するなど、世界中が緊急危機管理体制に入ってきています。サブプライム問題を巡る世界的金融危機も2007年に発生したBNPパリバ傘下のファンドによる解約停止が端緒だったことが思い出されます。
ユーロ圏の安定が世界経済の安定と回復に極めて重要であることは言うまでもなく、今後も各国が緊密に協力していかなければならないことは明らかです。ここで少し、今回の事態に陥ってしまった構造的要因のようなものを振り返ってみたいと思います。厳密に学問的な議論ではありませんが、大局的な観点から状況を認識し、そして日本が抱えている問題と関連させて考える事は、重要だと思います。
私が金融業界で社会人としての第一歩を踏み出した頃は、ヨーロッパ各国は独自の通貨を持ち、その中でEMSという制度の上でECUという仮想通貨のようなものが存在していました。そしてそれがEUの誕生と共にユーロという通貨になったのです。ヨーロッパ全域で使える一つの通貨が生まれただけに見えるかも知れませんが、財政金融政策の面から見ると一つの通貨というのは一つの金融政策を意味します。EU誕生までは各国それぞれの中央銀行がそれぞれの通貨の金利や通貨供給量を決定していました。しかし、ユーロはどこの国で受け取っても同じユーロですから、金利も供給量も一元管理をせざるを得ず、それを行うのが欧州中央銀行（ECB）です。
また、金融政策の他にもう一つ重要な変化は為替です。昔はドイツ・マルクやイタリア・リラ、フレンチ・フランやギリシャ・ドラクマなどがあり、それぞれ別個に取引されていました。ドイツ経済が弱くなればマルクが売られ、ギリシャ経済が大変なことになるとドラクマが売られていたのです。しかし今ではユーロという一つの通貨です。これは二つの意味で大きな変化をもたらしました。まず、ユーロ圏内諸国間で経済状況に大きな変化が発生した場合、通常では各国間の為替レート変動によって吸収されるべきものが、そのまま持続することになります。例えば域内のある国で生産性が著しく高まった場合、その国から域内他国への輸出が伸びることになりますが、為替が自由に変動していればやがて輸出国の通貨が強くなって輸出競争力が低下し、貿易は均衡に向かうはずです。ところが域内各国が全てユーロという単一通貨を使っているためにこのメカニズムが働きません。
今一つの為替に関する重要な点は、ユーロ圏外との為替レートがユーロと他通貨という一つのもので縛られているため、各国個別の事情が反映されないことです。従って、例えばドイツという域内国の生産性が高まって輸出が増えたためにユーロが強くなる一方、ギリシャという別の域内国の生産性が弱まったとしても、ドイツの方が圧倒的に経済規模が大きいため、ユーロはドイツの強さに引きずられてしまいます。この例で考えると、普通ならばギリシャの通貨が弱まり、ギリシャからの輸出産品の競争力が高まったり、ギリシャへの観光が割安になってギリシャ経済が回復するというプロセスが、ユーロという単一通貨のために働かなくなるのです。
ここではドイツとギリシャを例に取りましたが、実際に起こってきたことを振り返ると、やはりユーロという単一通貨の存在によって一番の恩恵を受けてきたのはドイツであり、ある意味での被害を受けてきたのはギリシャをはじめとする経済が小規模弱体な国々です。ですから、周辺国を中心とする現在のユーロ危機は構造的な必然だったと考える事もできます。
ドイツ経済はユーロ圏の平均よりも高い生産性を保つ一方で、ユーロによる人為的な為替水準のおかげで本来あるべき水準よりも有利な交易条件を、域内、域外で保つことができました。このことがドイツ経済の成長に大きな影響を与えたと思います。ユーロ誕生前は年中行事であったドイツ国内の鉄鋼や自動車産業の組合によるストライキも、最近では耳にすることもなくなりました。もしドイツ・マルクが現在もユーロとは別に存在していたならば、スイス・フランではなくドイツ・マルクが買われていたことでしょう。
逆にギリシャをみてみると、正反対の構図が浮かび上がります。ユーロに加盟せずにドラクマのままだったならば、様々な要因によってドラクマが対ユーロあるいは対ドルや円で大幅に減価し、輸出競争力を高めたり観光客を増やしていたかもしれません。ギリシャの状況が現在ユーロ安を招いているのは事実ですが、別個の通貨ならばもっと以前からより大規模な減価が起こっていたはずです。1999年1月に1ユーロ1.17ドル近辺から始まったユーロ・ドルの為替レートはその後ユーロ安に動き、2000年から2003年にかけては1ユーロが1ドル以下の水準で取引されていました。現在は1ユーロ1.37ドル程度ですから、実は今はユーロ高が続いているのです。
概観してきましたが、少々一般化して日本に置き換えて考えてみましょう。まず、ドイツがギリシャはじめ南欧諸国を援助することはこれまでの経緯を考えると当然のように思えますが、ドイツ国内での合意形成ができるかどうか、見守る必要があります。EUを連邦制に移行して財政もユーロ圏内で一体化しようという主張もあるようですが、時期尚早という見方が圧倒的です。今後道州制を検討し実行していく中で、日本国内でもこの問題を十分に議論する必要があります。現在は地方交付税という仕組みのもと、唯一財政黒字である東京から地方へと交付金や補助金の形で多額の資金が流れています。国民中心の真の民主主義を目指すために道州制の導入が重要だと思いますが、権限と責任の双方が地方（道や州）に移譲されるとともにもちろん財源も渡されることになります。地方分権、道州制の推進は間違いなく遠心力を日本国にもたらします。そのような状況の中で、どのようにして国内各道州間の貧富や環境の格差が過大にならないようにしようという求心力を維持していくかを、私たちは真剣に考えなければなりません。
次に、金融政策の一元化と財政政策の個別性維持というユーロ圏のそもそもの構造ですが、何が財政で何が金融かという境界の問題がヨーロッパでは日本とは違う形で現れてくる可能性があります。ご存じの通り日本では日本銀行のリスク性資産購入によるバランスシート拡大が財政の領域への浸食と認識されており、財政民主主義との関連で問題視され始めています。ユーロ圏では中央銀行が財政危機にあえぐ国々の国債を銀行などから買い入れることによって国債市場の安定を保とうとしており、中央銀行（ECB）が買い支える意志の範囲内においてこれら諸国の財政が継続しうるという、中央銀行による財政の支配とも言える構図が生まれています。日本でも日銀による国債直接引き受けが議論され始めていますが、現在の論調は日銀に引き受けを強要するという形のものです。日銀が独立した存在である限り、日銀引き受けに依存する構図は日銀による財政の支配に繋がりかねない事も、私達は認識しておくべきでしょう。
最後にもう一つ、為替レートに関しては本来ならば自由に変動することによって経済の自動調整メカニズムの一翼を担うはずのものが、ユーロという形で固定化されたことがユーロ圏経済の混乱の一因となっています。何でも自由に市場に任せれば良いというのは極端な考え方ですが、一カ所（為替レート）を固定することによって本来ならばバネのように変動を吸収してくれるものが固まってしまい、その変動が他の予期せぬ部分に伝わったりしわ寄せが発生することは、どんな局面でも考えられることです。日本国内においてはもっと経済の自立的な調整メカニズムが働いていても良さそうなものなのですが、それがうまく機能していないのは様々な規制のためであり、既得権益を守ろう、現状を維持しようという力が働いているからです。激変する世の中でこのような固定化を望むことは、ますます問題解決を困難にしていきます。
未曾有の国難においては何事も先入観を持たずに、常識を疑ってでも自分の頭で考えていくことが重要です。欧州の危機的混乱を見守りながら、我が国の状況にも十分な注意を払いつつ、学べる点は貪欲に学んでいこうと思います。
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			<content:encoded><![CDATA[
<p>ユーロ圏の経済混乱が続いています。ギリシャがデフォルトするのか、イタリアは、ポルトガルはどうなるのか、そしてドイツはどうやってこれらの国々を助けていくのか。予断を許さない局面が連続し、世界中が固唾をのんで見守っています。そんな中で中国がイタリア国債を購入するとか、スイス中央銀行の為替政策によってスイス円の為替レートが急落して日本国内の個人投資家が損失を被ったり、影響は裾野を広げてきていると言っても良いでしょう。</p>
<p>フランスの銀行はギリシャなどの国債保有額が大きいと言うことで資本市場で厳しい目で見られるようになり、資金繰りにそれなりの努力が必要な状況になっているようです。資金繰りをサポートするために各国中央銀行が年末越えのドル資金を無制限に貸し出すという対策を発表するなど、世界中が緊急危機管理体制に入ってきています。サブプライム問題を巡る世界的金融危機も2007年に発生したBNPパリバ傘下のファンドによる解約停止が端緒だったことが思い出されます。</p>
<p>ユーロ圏の安定が世界経済の安定と回復に極めて重要であることは言うまでもなく、今後も各国が緊密に協力していかなければならないことは明らかです。ここで少し、今回の事態に陥ってしまった構造的要因のようなものを振り返ってみたいと思います。厳密に学問的な議論ではありませんが、大局的な観点から状況を認識し、そして日本が抱えている問題と関連させて考える事は、重要だと思います。</p>
<p>私が金融業界で社会人としての第一歩を踏み出した頃は、ヨーロッパ各国は独自の通貨を持ち、その中でEMSという制度の上でECUという仮想通貨のようなものが存在していました。そしてそれがEUの誕生と共にユーロという通貨になったのです。ヨーロッパ全域で使える一つの通貨が生まれただけに見えるかも知れませんが、財政金融政策の面から見ると一つの通貨というのは一つの金融政策を意味します。EU誕生までは各国それぞれの中央銀行がそれぞれの通貨の金利や通貨供給量を決定していました。しかし、ユーロはどこの国で受け取っても同じユーロですから、金利も供給量も一元管理をせざるを得ず、それを行うのが欧州中央銀行（ECB）です。</p>
<p>また、金融政策の他にもう一つ重要な変化は為替です。昔はドイツ・マルクやイタリア・リラ、フレンチ・フランやギリシャ・ドラクマなどがあり、それぞれ別個に取引されていました。ドイツ経済が弱くなればマルクが売られ、ギリシャ経済が大変なことになるとドラクマが売られていたのです。しかし今ではユーロという一つの通貨です。これは二つの意味で大きな変化をもたらしました。まず、ユーロ圏内諸国間で経済状況に大きな変化が発生した場合、通常では各国間の為替レート変動によって吸収されるべきものが、そのまま持続することになります。例えば域内のある国で生産性が著しく高まった場合、その国から域内他国への輸出が伸びることになりますが、為替が自由に変動していればやがて輸出国の通貨が強くなって輸出競争力が低下し、貿易は均衡に向かうはずです。ところが域内各国が全てユーロという単一通貨を使っているためにこのメカニズムが働きません。</p>
<p>今一つの為替に関する重要な点は、ユーロ圏外との為替レートがユーロと他通貨という一つのもので縛られているため、各国個別の事情が反映されないことです。従って、例えばドイツという域内国の生産性が高まって輸出が増えたためにユーロが強くなる一方、ギリシャという別の域内国の生産性が弱まったとしても、ドイツの方が圧倒的に経済規模が大きいため、ユーロはドイツの強さに引きずられてしまいます。この例で考えると、普通ならばギリシャの通貨が弱まり、ギリシャからの輸出産品の競争力が高まったり、ギリシャへの観光が割安になってギリシャ経済が回復するというプロセスが、ユーロという単一通貨のために働かなくなるのです。</p>
<p>ここではドイツとギリシャを例に取りましたが、実際に起こってきたことを振り返ると、やはりユーロという単一通貨の存在によって一番の恩恵を受けてきたのはドイツであり、ある意味での被害を受けてきたのはギリシャをはじめとする経済が小規模弱体な国々です。ですから、周辺国を中心とする現在のユーロ危機は構造的な必然だったと考える事もできます。</p>
<p>ドイツ経済はユーロ圏の平均よりも高い生産性を保つ一方で、ユーロによる人為的な為替水準のおかげで本来あるべき水準よりも有利な交易条件を、域内、域外で保つことができました。このことがドイツ経済の成長に大きな影響を与えたと思います。ユーロ誕生前は年中行事であったドイツ国内の鉄鋼や自動車産業の組合によるストライキも、最近では耳にすることもなくなりました。もしドイツ・マルクが現在もユーロとは別に存在していたならば、スイス・フランではなくドイツ・マルクが買われていたことでしょう。</p>
<p>逆にギリシャをみてみると、正反対の構図が浮かび上がります。ユーロに加盟せずにドラクマのままだったならば、様々な要因によってドラクマが対ユーロあるいは対ドルや円で大幅に減価し、輸出競争力を高めたり観光客を増やしていたかもしれません。ギリシャの状況が現在ユーロ安を招いているのは事実ですが、別個の通貨ならばもっと以前からより大規模な減価が起こっていたはずです。1999年1月に1ユーロ1.17ドル近辺から始まったユーロ・ドルの為替レートはその後ユーロ安に動き、2000年から2003年にかけては1ユーロが1ドル以下の水準で取引されていました。現在は1ユーロ1.37ドル程度ですから、実は今はユーロ高が続いているのです。</p>
<p>概観してきましたが、少々一般化して日本に置き換えて考えてみましょう。まず、ドイツがギリシャはじめ南欧諸国を援助することはこれまでの経緯を考えると当然のように思えますが、ドイツ国内での合意形成ができるかどうか、見守る必要があります。EUを連邦制に移行して財政もユーロ圏内で一体化しようという主張もあるようですが、時期尚早という見方が圧倒的です。今後道州制を検討し実行していく中で、日本国内でもこの問題を十分に議論する必要があります。<br />現在は地方交付税という仕組みのもと、唯一財政黒字である東京から地方へと交付金や補助金の形で多額の資金が流れています。国民中心の真の民主主義を目指すために道州制の導入が重要だと思いますが、権限と責任の双方が地方（道や州）に移譲されるとともにもちろん財源も渡されることになります。地方分権、道州制の推進は間違いなく遠心力を日本国にもたらします。そのような状況の中で、どのようにして国内各道州間の貧富や環境の格差が過大にならないようにしようという求心力を維持していくかを、私たちは真剣に考えなければなりません。</p>
<p>次に、金融政策の一元化と財政政策の個別性維持というユーロ圏のそもそもの構造ですが、何が財政で何が金融かという境界の問題がヨーロッパでは日本とは違う形で現れてくる可能性があります。ご存じの通り日本では日本銀行のリスク性資産購入によるバランスシート拡大が財政の領域への浸食と認識されており、財政民主主義との関連で問題視され始めています。ユーロ圏では中央銀行が財政危機にあえぐ国々の国債を銀行などから買い入れることによって国債市場の安定を保とうとしており、中央銀行（ECB）が買い支える意志の範囲内においてこれら諸国の財政が継続しうるという、中央銀行による財政の支配とも言える構図が生まれています。日本でも日銀による国債直接引き受けが議論され始めていますが、現在の論調は日銀に引き受けを強要するという形のものです。日銀が独立した存在である限り、日銀引き受けに依存する構図は日銀による財政の支配に繋がりかねない事も、私達は認識しておくべきでしょう。</p>
<p>最後にもう一つ、為替レートに関しては本来ならば自由に変動することによって経済の自動調整メカニズムの一翼を担うはずのものが、ユーロという形で固定化されたことがユーロ圏経済の混乱の一因となっています。何でも自由に市場に任せれば良いというのは極端な考え方ですが、一カ所（為替レート）を固定することによって本来ならばバネのように変動を吸収してくれるものが固まってしまい、その変動が他の予期せぬ部分に伝わったりしわ寄せが発生することは、どんな局面でも考えられることです。日本国内においてはもっと経済の自立的な調整メカニズムが働いていても良さそうなものなのですが、それがうまく機能していないのは様々な規制のためであり、既得権益を守ろう、現状を維持しようという力が働いているからです。激変する世の中でこのような固定化を望むことは、ますます問題解決を困難にしていきます。</p>
<p>未曾有の国難においては何事も先入観を持たずに、常識を疑ってでも自分の頭で考えていくことが重要です。欧州の危機的混乱を見守りながら、我が国の状況にも十分な注意を払いつつ、学べる点は貪欲に学んでいこうと思います。</p>
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		<title>ジャクソン・ホール、今昔</title>
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		<pubDate>Mon, 05 Sep 2011 06:03:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>staff</dc:creator>
				<category><![CDATA[経済]]></category>
		<category><![CDATA[FOMC]]></category>
		<category><![CDATA[FRB年次総会]]></category>
		<category><![CDATA[QE3]]></category>
		<category><![CDATA[国家戦略会議]]></category>

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		<description><![CDATA[
今年8月末にワイオミング州のジャクソン・ホールで米国連邦準備理事会 （FRB）の年次会合が開かれました。昨年同時期に行われた会合については、FRBの バーナンキ議長がQE2とよばれる量的緩和策を示唆したこと、そして会合参加中の白川日銀総裁が日本における緊急緩和策検討のために 急遽帰国したことが、記憶に鮮明に残っています。日銀は昨年8月30日に緊急の政策決定会合を開いて追加緩和策を打ち出したものの、 円高の勢いを抑えることはできず、10月5日の「包括的な金融緩和策」発表に至りました。
 
昨年のジャクソン・ホール会合から今年の会合までの一年間を振り返ると、米国は量的緩和を継続し、日本も基金 による長期国債、REITの買入などの緩和策を採り続けています。そして3月11日には日本で大震災が発生し、ヨーロッパではソブリン危機が相変わらず煙を上げ続けています。為替レートは日 銀の緩和策や財務省の為替市場介入にもかかわらず、昨年8月末の85円程度の水準から、10円 近く円高になってしまいました。金利市場では、日本の財政破綻の危機が叫ばれ続けているにもかかわらず日本国債は極めて堅調に取引されて います。
 
アメリカでは債務発行上限引き上げ問題など予算成立が危ぶまれる中で7月 末に短期金利が一時上昇したりしましたが、10年国債金利を見ると昨年8月 に2.5％程度であったものが年初に3.5％ 程度に上昇した後は低下が始まり、7月末からは急低下しました。8月 には一時的に2％を割り込む水準まで低下し、今では2％ 代前半の水準です。この間に格付け会社が米国債、日本国債共に格付けを引き下げたことなどを考えると、不思議なほど安定した市場になって います。
 
しかし逆の立場から見ると、これだけアメリカ、日本共に金融の緩和が行われているにもかかわらず、景気回復の 兆しは見えていないと考える事もできます。アメリカFRBは8月9日 の連邦公開市場委員会（FOMC）で、景気回復が6月 のFOMCまで想定していたよりもずっと弱いという認識を持ち、追加緩和策として2013年 半ばまで超低金利を持続するという時間軸政策を発表しました。8月26日に行われたジャクソン・ホールでのバーナンキ議長の講演に向け ては、FRBが追加の量的緩和策、即ちQE3を 発表するだろうという予想が金融市場で強まっていきました。一部の市場関係者は、これ以上の量的緩和を行ってもほとんど効果はないだろう と認識していましたが、FRBへの期待とプレッシャーは高まっており、バーナンキ議長がこれに何らかの答を出すのか、あるいは市場に振り回 されることを拒否するのかに注目が集まりました。
 
結果としてバーナンキ議長の26日 のスピーチではQE3に関する示唆が全く無い一方で、9月 のFOMCを二日間の開催にしてFRBが 持つ様々な緩和策を十分に検討するということが盛り込まれました。市場関係者はこれを、9月のFOMCでFRBがQE3を決断すると勝手に解釈したりもしているようです。ところが、8月30日になると8月9日のFOMC議 事録が公表され、実は9月におけるFOMCの 二日間開催が8月9日の時点で既に決定されていたこと、更にFRBが 考慮している追加緩和策は時間軸効果（これは既に8月9日に発表済）、買い入れ資産の量の増大や長期化（短期債券を売却 して長期債に入れ替え）、超過準備金に対する金利の引き下げなどであることが明らかになりました。また、現在のアメリカ経済が直面してい る問題への対策、即ち景気回復策としては、金融政策は有効ではないという意見がFRB内部にあることも示されました。
 
この最後のポイントは、26日 のバーナンキ議長の講演においても踏襲されています。議長は、長期経済成長の為のほとんどの経済政策は中央銀行の管轄の外にあると話す一 方、今回の景気減速からの回復のためには長期的な対策と短期的対策が一致する可能性があると示唆しています。つまり、中央銀行ではなく政 府の経済対策こそが重要であると言うのです。更に、長期的な経済成長における中央銀行の役割は、インフレを低く安定させておくことであ り、そのことによって市場の効率的な資源配分が加速されると主張しています。要するに、これ以上景気回復のために中央銀行ができることは 無く、後は政府の仕事だよという宣言なのです。
 
翻って日本を考えると、昨年10月 の「包括的な金融緩和策」以来、日銀の施策は財政の領域に踏み込みはじめています。緊急時において金融、財政という領域の議論をするのは けしからん、無意味だというご指摘も有るかも知れませんが、私は非常に重要な問題であると考えています。これは、日銀が行っている財政的 な施策を否定するものでは無く、政府が責任を持って行うべきものだと考えているからです。税制、歳出など財政一般は全て国会の審議を経て 決定することが憲法で規定されており、これが財政民主主義の基本です。
 
税金や民間資産の買い取りなど国民の財産に直結する問題について、国会が議決を行って政府が責任を持って行う というのは当然のことなのです。昨年10月8日の「目ヂカラ」でも書きましたが、日銀が基金を創設して資産買 入を行おうという時に、政府がこれに対する明示的な保証を行う事を決め、それを国会審議に供することなどが非常に重要なのです。これに よって日銀と政府・国会の役割分担も明確化されますし、何よりも共同して問題に対処している姿がはっきりと見えてきます。ところが民主党 政権はこのような責任ある政府・国会の立場を放棄して、全て日銀に押しつけてきました。
 
バーナンキ議長の26日 の講演に、強く心を打たれる部分がありました。英語で引用しますと、&#8221;The quality of economic policymaking in the United States will heavily [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>今年8月末にワイオミング州のジャクソン・ホールで米国連邦準備理事会 （FRB）の年次会合が開かれました。昨年同時期に行われた会合については、FRBの バーナンキ議長がQE2とよばれる量的緩和策を示唆したこと、そして会合参加中の白川日銀総裁が日本における緊急緩和策検討のために 急遽帰国したことが、記憶に鮮明に残っています。日銀は昨年8月30日に緊急の政策決定会合を開いて追加緩和策を打ち出したものの、 円高の勢いを抑えることはできず、10月5日の「包括的な金融緩和策」発表に至りました。</p>
<p> </p>
<p>昨年のジャクソン・ホール会合から今年の会合までの一年間を振り返ると、米国は量的緩和を継続し、日本も基金 による長期国債、REITの買入などの緩和策を採り続けています。そして3月11日には日本で大震災が発生し、ヨーロッパではソブリン危機が相変わらず煙を上げ続けています。為替レートは日 銀の緩和策や財務省の為替市場介入にもかかわらず、昨年8月末の85円程度の水準から、10円 近く円高になってしまいました。金利市場では、日本の財政破綻の危機が叫ばれ続けているにもかかわらず日本国債は極めて堅調に取引されて います。</p>
<p> </p>
<p>アメリカでは債務発行上限引き上げ問題など予算成立が危ぶまれる中で7月 末に短期金利が一時上昇したりしましたが、10年国債金利を見ると昨年8月 に2.5％程度であったものが年初に3.5％ 程度に上昇した後は低下が始まり、7月末からは急低下しました。8月 には一時的に2％を割り込む水準まで低下し、今では2％ 代前半の水準です。この間に格付け会社が米国債、日本国債共に格付けを引き下げたことなどを考えると、不思議なほど安定した市場になって います。</p>
<p> </p>
<p>しかし逆の立場から見ると、これだけアメリカ、日本共に金融の緩和が行われているにもかかわらず、景気回復の 兆しは見えていないと考える事もできます。アメリカFRBは8月9日 の連邦公開市場委員会（FOMC）で、景気回復が6月 のFOMCまで想定していたよりもずっと弱いという認識を持ち、追加緩和策として2013年 半ばまで超低金利を持続するという時間軸政策を発表しました。8月26日に行われたジャクソン・ホールでのバーナンキ議長の講演に向け ては、FRBが追加の量的緩和策、即ちQE3を 発表するだろうという予想が金融市場で強まっていきました。一部の市場関係者は、これ以上の量的緩和を行ってもほとんど効果はないだろう と認識していましたが、FRBへの期待とプレッシャーは高まっており、バーナンキ議長がこれに何らかの答を出すのか、あるいは市場に振り回 されることを拒否するのかに注目が集まりました。</p>
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<p>結果としてバーナンキ議長の26日 のスピーチではQE3に関する示唆が全く無い一方で、9月 のFOMCを二日間の開催にしてFRBが 持つ様々な緩和策を十分に検討するということが盛り込まれました。市場関係者はこれを、9月のFOMCでFRBがQE3を決断すると勝手に解釈したりもしているようです。ところが、8月30日になると8月9日のFOMC議 事録が公表され、実は9月におけるFOMCの 二日間開催が8月9日の時点で既に決定されていたこと、更にFRBが 考慮している追加緩和策は時間軸効果（これは既に8月9日に発表済）、買い入れ資産の量の増大や長期化（短期債券を売却 して長期債に入れ替え）、超過準備金に対する金利の引き下げなどであることが明らかになりました。また、現在のアメリカ経済が直面してい る問題への対策、即ち景気回復策としては、金融政策は有効ではないという意見がFRB内部にあることも示されました。</p>
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<p>この最後のポイントは、26日 のバーナンキ議長の講演においても踏襲されています。議長は、長期経済成長の為のほとんどの経済政策は中央銀行の管轄の外にあると話す一 方、今回の景気減速からの回復のためには長期的な対策と短期的対策が一致する可能性があると示唆しています。つまり、中央銀行ではなく政 府の経済対策こそが重要であると言うのです。更に、長期的な経済成長における中央銀行の役割は、インフレを低く安定させておくことであ り、そのことによって市場の効率的な資源配分が加速されると主張しています。要するに、これ以上景気回復のために中央銀行ができることは 無く、後は政府の仕事だよという宣言なのです。</p>
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<p>翻って日本を考えると、昨年10月 の「包括的な金融緩和策」以来、日銀の施策は財政の領域に踏み込みはじめています。緊急時において金融、財政という領域の議論をするのは けしからん、無意味だというご指摘も有るかも知れませんが、私は非常に重要な問題であると考えています。これは、日銀が行っている財政的 な施策を否定するものでは無く、政府が責任を持って行うべきものだと考えているからです。税制、歳出など財政一般は全て国会の審議を経て 決定することが憲法で規定されており、これが財政民主主義の基本です。</p>
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<p>税金や民間資産の買い取りなど国民の財産に直結する問題について、国会が議決を行って政府が責任を持って行う というのは当然のことなのです。昨年10月8日の「目ヂカラ」でも書きましたが、日銀が基金を創設して資産買 入を行おうという時に、政府がこれに対する明示的な保証を行う事を決め、それを国会審議に供することなどが非常に重要なのです。これに よって日銀と政府・国会の役割分担も明確化されますし、何よりも共同して問題に対処している姿がはっきりと見えてきます。ところが民主党 政権はこのような責任ある政府・国会の立場を放棄して、全て日銀に押しつけてきました。</p>
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<p>バーナンキ議長の26日 の講演に、強く心を打たれる部分がありました。英語で引用しますと、&#8221;The quality of economic policymaking in the United States will heavily influence the nation&#8217;s longer-term prospects.&#8221;で す。「米国における経済政策決定の質が、長期的将来の経済に大きな影響を及ぼす」という意味です。スタンダードアンドプアーズの米国債格 付け引き下げの際の理由としても、政策決定プロセスの質の低下が挙げられていました。政策の質ではなく、政策決定プロセスの質なのです。</p>
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<p>国会は政策を議論し、決定していく大切な場です。その議論の内容の質、さらには政策とは無関係な党利党略に よって会議日程が左右されたりする会議体としての質、これらを何とかして改善していかなければなりません。民主党の幹部が誰になろうと、 大臣が誰になろうと構いません。そんなことよりも、内容のある議論を早く国会で再開し、日本における政策決定の質の回復を議員全員で目指 していかなければなりません。そして何よりも、国会に対して政府の経済政策を、自信を持って提示する「経済政策の司令塔」がやはり必要な のです。</p>
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<p>これは、7月に何度か「目ヂカラ」にも書いて皆さんにご説明しました。司令 塔が財務大臣なのか経済財政担当大臣、国家戦略担当大臣なのか、それは誰でも結構なのです。その司令塔のもとで、「経済財政の中長期試 算」の途中計算のあやふやさや内閣府と財務省のモデルの不一致など、全て正していかなければなりません。考え方、モデル、データなどが全 て明らかになった上で、司令塔が中心となって政府の経済政策をとりまとめ、国会に提案、それを議論、議決していくのがあるべき姿です。こ の政策決定プロセスの質の向上のために残されている時間は、ほとんどありません。</p>
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<p>野田総理は、経済財政運営の司令塔として、首相直轄の「国家戦略会議」を新設する方針を固めたとの報道も昨日 なされました。これは私がずっと国会で主張し続けてきたものであり、この会議が本当に機能するのかお手並み拝見といったところですが、私 としては、ぜひしっかりと機能していただき、国会の場で、その内容について中身のある論議を戦わせていきたいと思っているところです。</p>
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